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SARP企画
【インタビュー】高山登インタビュー 美術・教育・文化
2010年9月14日に高山宅で行われたインタビューの文字起こしの掲載です
この夏に産声を上げたSARP。個展の皮切りは高山登さんのドローイング展でした。
高山さんは、この春にも宮城県美術館で回顧展をなさったばかりです。
そこで、色々な意味で節目にあたるこの機会に、インタビューを試みました。
現在は、東京芸術大学で教鞭をお執りになっていますが、数年前までは、四半世紀にわたって宮城教育大学の教壇に立たれていました。
作家としての活動歴は長く、彼自身芸大の学生だった1960年代末から現在に至ります。東京を中心にやがて仙台を拠点に作品を発表し続けていらっしゃいました。
作品は固より、これまでの歩みを絡めながら、美術や教育、そして文化について、幅広くざっくばらんに語って頂きました。
アーティストプロフィール
高山登
1944 東京都生まれ
1969 個展『地下動物園』 椿近代画廊 東京
1970 現代美術の動向展 京都国立近代美術館
1971 第11回現代美術展 東京都美術館
1973 代8回パリ国際青年ビエンナーレ パリ国立近代美術館
1976 シドニービエンナーレ ニューサウスウオールギャラリー オウストラリア
1978 代6回現代彫刻展:都市彫刻への提案 神戸須磨離宮公園 今日の作家78 横浜市民ギャラリー
1979 今日の作家’79 横浜市民ギャラリー
1981 Ideas from Japan 03 グリフォンギャラリー メルボルン
1983 第1回宮城の5人展 宮城県美術館
1984 現代東北美術の状況 福島県立美術館現代美術の動向:1970年以降の美術 東京都美術館
1986 もの派展 鎌倉画廊 東京
1987 国際鉄鋼彫刻シンポジュウム 八幡東田高炉記念公園 北九州
1988 現代木刻フェステイバル 岐阜県関市文化会館ART CAMP 白州・夏・フェステイバル 山梨県白州町
1990 現代木刻フェステイバル 岐阜県関市文化会館
1991 インターナショナルスタジオプログラム P.S.1Museum N.Y
1995 1970年–物質と知覚 岐阜県美術館 広島市現代美術館北九州市立美術館 埼玉県立美術館ASIANA:Contemporary Art from Far East ヴェニスビイエンナーレ
1996 12のインスタレーション 東京都現代美術館 日本1970;物質と知覚 サンテイテエンヌ美術館 フランス
1997 Hybrid&Wood 光州ビエンナーレ 韓国
2000 Mann&Space 光州ビエンナーレ 韓国-
2001 もの派展 鎌倉画廊 東京みちのくアートフェステイバル2001 国営みちのく杜の湖畔公園 宮城県
2003 みちのくアートフェステイバル2003 国営みちのく杜の湖畔公園 宮城県アート宮城2003 宮城県美術館
2004 アート@つちざわ 岩手県
2005 もの派-再考 国立国際美術館 大阪
2006 アート@つちざわ 岩手県写真で見るSPACE TOTUKA ’70展 スペース23℃ 東京
2010 高山登展 宮城県美術館 宮城
2011 高山登退任展 東京藝術大学美術館 東京
2012 Requiem for the Sun : The Art of Mono-ha Blum&Poe Los Angeles
著書・論文
1971 「事物との関係」美術手帳7月号 p160−p162 美術出版社
1972 「特集:発言`72=想像の原点」みずえ 1月号 美術出版社「圧縮する空間–村思考から」美術手帳 12月号 美術出版社
1979 「眼鏡をめぐる三十一の断章」象創刊号 p22−p27 仮面社「題名と私」さぐるVol.2 さぐる運営委員会
1980 「エッシャーの闇」さぐるVol.3 さぐる運営委員会
1982 「パフォマンスドローイング」材料と表現・デッサン 美術出版社
1984 「十字路断章」現在位置 p26−p31 現代美術現在位置実行委員会
1987 「k0k0」版画集 エレガンスギャラリー「井上新太郎作品について」井上新太郎遺作集を刊行する会
1988 「俳句・イン・ドローイング」フランス堂「Noboru Takayama1968-1988」作品集 ギャラリー21+葉
2005 「スペース戸塚`70の周辺」榎倉康二展カタログ 東京都現代美術館
2010 「遊殺 高山登 1968-2010」高山登展カタログ 赤々舎
2011 「枕木–白い闇×黒い闇の軌跡」高山登退任展カタログ 東京藝術大学出版会
2012 「円空大賞」 岐阜県美術館
「高山登Mouse trap+Underground Zoo+3.11」 鎌倉画廊
「野見山暁治 絵と言葉」p204−207 青土社
「Requiem for the Sun:The Art of Mono-ha」Yoshitake Blum&Poeパブリックコレクション国立国際美術館 東京都現代美術館 宮城県美術館 茨城県美術館 秋田県立近代美術館 Musée d´ Art Moderne SaintÉtienne リアスアーク美術館 千葉市美術館 秋田市立千秋美術館 福岡市美術館 松濤美術館 高沢学園
[聞き手] 高熊洋平
書本&cafe magellan 店主 http://magellan.shop-pro.jp/
枕木と歴史の意味
高熊洋平(以下高熊)
2010年は、作家高山登を見直すのに、またとない年になりました。まず1〜3月に、宮城県美術館(以下県美)での大規模な回顧展があり、さる8月には仙台アーティストランプレイスで、ドゥローイングによる個展を開かれました。僕だけに限らず、多くの人にとって、とても貴重な機会になったと思います。
高山登(以下高山)
仙台では、あまり枕木はやってないんだよね。美術館で何回か、川崎にあるダムで何回かというぐらいだし。
高熊
昔、県美の中庭で、学生やボランティアさんといっしょに…
高山
ワークショップでね。だいぶ前ですよね。
高熊
90年…
高山
ちょうど90年かな。
高熊
PS1に発たれる前・・・
高山
あれ終わってすぐPS1だったからね
高熊
高山さんは、60年代末から脚光を浴び始め、いま現在に至るも旺盛なご活躍を続けていらっしゃいます。それゆえ、キャリアが長い分さまざまな批評がなされてきました。とはいえ、大きく分けるとすれば、三通りの評価があったと思います。ひとつは、形式主義的に構成を見て評価する方向、もうひとつは、時代的なコンテクスト、例えば「もの派」からの偏差として、情念性だったり歴史の意味を枕木に指摘する方向。さらに、前者と後者が相互反転しあう、その両義性に意義を見出す方向。ただ、個人的な印象では、その三通りの視点を読んでも、あまり腑に落ちなかった。学ぶところは多いんですが、それぞれに何か掴み損ねている気がします。では、それが何なのかというと、正直、自分でも分かりません。そこで、今日は、その手掛かりを伺えたらという思いで参りました。
さて、活動歴を拝見しますと、思いのほか、発表の場としてニュートラルな場所が選ばれています。画廊や美術館が圧倒的に多く、ときに戸塚スペースや点展など身近にある日常的な空間が採用されています。「思いのほか」というのは、かねてからの高山さんのご発言からすると、歴史的に意味のある場所で発表なさっていてもおかしくないからです。むしろ、枕木とも縁の深い炭坑などでやってないのは訝しいくらいです。なぜ、歴史的に負荷のある場所ではなさっていないのでしょうか?たまたま、声がかからなかったから結果的にそうなったのか、それとも意識的に回避なさってきたのでしょうか?
高山
それは面白い問題だけど…そうだな、以前、高嶺格が、朝鮮人労働者が従事してた炭坑で、インスタレーションやったでしょ。場所がもつ歴史を意識して、その中で問いかける。問題を引っ張りだすために、そういう場所を選ぶという。いっぽう僕の場合には、避けてるわけではないけど、そういうことを語りたいためではないんです。
ジャスパー・ジョーンズっているでしょ。彼は、仙台にも滞在してたことがあって、ちょうど朝鮮戦争のときに来て沖縄に行ったりしてたらしいけど…まぁいいや、彼の、アンコスティックを使った世界地図の絵がありますよね。アンコスティックというのは、戦争で顔が壊れたり、腕がもげた死体を、修復して整形するときに使う技術なんです。朝鮮やベトナムで戦死した兵士は、そうやって修復されて本国へ帰された。ジョーンズは、わざわざその技術を使ってアメリカの地図を修復するわけ。地図の下には、当時の新聞記事、アメリカが何をやっているかという記事が貼りこんであって、その上を三原色で、アンコスティックを使いながら修復してゆくんですね。
20代そこそこの僕にはショックでしたよ。そのころの日本の美術雑誌では、記号論からジョーンズを解釈したりしてたけど、そういう面よりか、僕には、作品の構造として歴史の問題が透けて見えるというところが興味深かった。歴史そのものを指示したり、説明するんじゃなくてね。
だから、歴史を問題にするにしても、特別な場所そのものをそのまま俎上に上げるようなことはあまりしたくない。むしろ、日常性のなかで、日本の普段の状況でこそ、問題を想起させないと、本当に表したいことが出てこない気がするんです。ニュートラルな状態の中で、縦横の軸がどう絡んでいるか、それを可視化したいんです。
とはいえ、歴史を直接テーマにした作品に、全く親しみがないわけではないですよ。なにしろ、原爆図の丸木位里が、小さいころ身近にいましたからね。それから、大きなテーマといえば、ゴーギャンの『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』、それに自由美術の一部とかよく見てたし。
高熊
仮にですが、もし歴史的な負荷がかかっている場所、例えば、炭坑や刑務所で誘いがかかったら、してました?
高山
そういうところでもやってみようかなと思ったことはあります。北海道や九州の炭坑まで出向いたりしましたし。
昔の軍需工場とか戦時中の建物は、今でもけっこう日本中に残ってるんですよ。関東近辺にも、防空壕や軍需工場みたいのがたくさんあります。ほとんど我々の目に触れる機会はないですが。
ただ、ここ最近は、廃墟として記録されたり、観光地として再生されたり、歴史的遺産として見直されたりしてますよね。まぁ、そこにうまく嵌めるように、作品をあつらえるというのも、あっていいとは思います。だけど、それでは、時代の装置にあまりに乗っかりすぎではないかと思う。それは如何なものか…
高熊
ところで、制作に関して、レクイエムの意味合いが強いんだというご発言をよくなさってきましたよね?
高山
心情的にですよ。作るときに、僕の中で、死者に対するレクイエムが生じるんです。ただし、作品そのものでレクイエムを表現してるわけではないですよ。
高熊
なるほど、それは、場所の問題とも関係がありそうです。実際に犠牲者がでた場所でインスタレーションを組んだとしたら、そこで亡くなった特定の方々への露骨なレクイエムにしかならない。いっぽう日常性のなかであれば、鎮魂の念は一般化し、潜在的なものにすることができる。
高山
そうね、日本では、僕の作品を見て、ホロコーストと感じる人はほとんど皆無だしね。
だけど、ヨーロッパなんかでやると、それはすぐ伝わる。何も言わなくたって、ホロコーストって伝わっちゃう。木をコールタールに浸けてあるから、臭いで分かるわけでしょ。彼らの歴史では、エジプトのピラミッド、いわゆるミイラから分かってるわけ。ミイラって、天然タールで腐らないように処理してあるからね。生木をタールで塗ってあるというのは、ミイラと同じだと思うんでしょう。
それから、映画とか、美術館や博物館でも、ホロコーストを表象する場合、アウシュヴィッツに伸びる鉄道がよく使われるでしょ。枕木の歴史って、ヨーロッパの人たちはみんな分かっているから、作品がアジアにおけるそういう問題だってすぐ察しがつくんですね。普通のおばさんたちでも、これは日本のホロコーストを作ってますね、って何も言わなくても分かります。
高熊
とはいえ、作品の印象からすると、やっぱりニュートラルな場所が多いので、ホロコーストなり特定のユダヤ人への追悼とは違う気がするんです。死者一般というか、過去一般へのレクイエムという方が強いんじゃないかと…
高山
死についてどう考えるかというのは、答えがあるわけじゃないからね。想像でしかないわけで、その想像の仕方がいろんな文化になるわけだし、色々あっていいと思います。
ただ、僕が死に対して思うのは、「遊殺」という言葉です。もともと遊殺というのは、陶芸で土殺しと言われていることなんだけど、土を一回殺してから手のなかで遊ぶことを言うんです。一回絞めてから自分の手のなかで自由にする。そこで、人間と自然の関係があるとすると、人間は自然を殺すから生きていられる。ところがまた、自然から殺されているかもしれない。だから遊殺というのは、殺して遊ぶのか、遊んで殺すのか、受け身であったり能動であったりその両方をイメージしなければいけない。
それともうひとつ、自然の恵みについても考えます。つまり、与えられるだけでなく、どういうふうに返しているか。何かを食べて自然に感謝するとか、そういう時代とは変わっちゃたわけでしょ。まぁ、みんなそれぞれ有難いとは思ってるかもしれないけど、そんなこと言ったって、地球そのものを、我々はどんどん壊しちゃってる。今は、その罰が当たってるわけでしょ。じつは、そういう意味も込めて、定禅寺通りにある作品に「神々のゲンコツ」ってタイトルをつけてあるんだけど…
そういえば、中学校のころ、死について作文を書いたら、先生に怒られたことがありました。何でそんなこと考えるんだ?って。中学生が死を考えるなんて、きっと家庭が不幸なんだろうとか詰まんない推測したんだね(笑)。
高熊
ところで、ニュートラルな場所といっても、意味の上では中性ですが、いうまでもなくギャラリーごと各所に応じて物理的な制限はそれぞれ異なります。枕木の組み方や配置の仕方も、それに従って変化し、年を追うごとにボキャブラリーが増えているように見受けられます。
ボキャブラリーといったのは、比喩ではなく、高山さんの枕木の作品って言葉と同じ構造をしているように思うんです。
例えば、詩人が言葉を紡ぎ出すときというのは、日常的な用法をやめて、言葉を即物的に扱います。普段の言葉って、生活に役立つよう意味が区分されてますが、区分を解除し、相互浸透させるわけです。詩が生まれるのは、この物質的な水準に沈潜した挙げ句、そこから再浮上して言葉に新たな区分を設けられたときに限られます。
あまりいい例ではありませんが、「こんばんは」という言葉があります。日常生活のレベルでは、宵の挨拶でしかないですが、一旦その有用性を外すと、名詞と助詞に「こんばん」と「は」が砕け、やがて「こん」「ばん」「は」と即物的な音声にまで至ります。ここから新たに意味を生みだすのが詩人なわけです。
ひるがえって、高山さんの枕木も、じつは一本二本と数えられる区分はなくて、それこそ「のっぺらぼう」ではありませんが、枕木の存在じたいが潜在的に広大な海を形成していて、展示空間の物理的な特性に応じて、枕木に分節作用が生じ、一本で単位になる場合もあれば、複数本が組み合ってひとつの単位になることもある。そして、その単位どうしが繋がって、あるシンタグムが生まれるんじゃないかなと。
高山
それは、マケットで、単位ごとに作っていくからですね。一本だったり、二本組み合わせるとか、L字に組み合わせるとか、隙間をこれだけ空けるとか。構造の基礎単位を作るわけです。まぁ、言ってみれば、枕木文字みたいなものです。それが何を意味するかは措いておくとしても、単位を組み合わせて、そこに何か別のコンテキストがを生みだすというのは、現実の目で見てやることです。
あと、まぁ、初期の枕木に関しては、どんなもののイメージが、例えば時間だとかレールだとかが、枕木に潜んでいるかって、フロッタージュで透かし見ようとしてたことがあります。それを、一本一本並べてたんです。つまり、先に絵があるわけです。ただ、そこからだんだん変化してゆくんですけども。だから、多分あなたが類推しているようなものと近いんじゃないかとも思いますけどね。
高熊
それから、枕木には防腐処理が施されていますよね。生の木材とは違って、素材として中性度が増しています。これも言葉から類推すると、「あーー」という単なる呻きが、ある一定の声高に絞られて、その瞬間に単位としての「あ」が生まれるのと似ているように思われます。つまり、質料的なものから非質料的な水準へジャンプがなされているわけです。
とはいえ、タールが滲み出すなど、新たな質料性が発生していますね。これは、こう理解できると思うんです。言葉が単位として成立しながら、そのうえで、呻きとは異なる声の質や個性が生まれるのと同様、非質料的なものに一旦媒介された質料性だということです。
高山
変化してるからね。常に一定状態ではなく、まわりの環境、温度や湿度に敏感でね。臭ったりもするし。だから、我々が認識してる木というものから、もはや外れちゃって、木なのかなんなのか。視覚的にも、重さも変っちゃう。
そういうものとして、新しい意味、ニュートラルな状態になっていると自分では意識しています。
高熊
枕木が組まれるのは、非質料的な水準においてです。その一方で同時に、質料的な傾向もまた枕木には含まれています。例えば、洩れでるタールがそうです。
この質料的なものこそ、先にでた「歴史」や「過去一般」、あるいは「記憶」に関わっているのではないでしょうか。
再び言葉との類推を許して頂ければ、言葉を、極端に質料的な傾向へ深め、呻きと聞き分けがたくなるまで酷使するとします。それを耳にした者は、何かしら情動が揺さぶられるはずです。
なぜか。おそらく、ある絶対的な過去に触れているからです。それは、呻きと言葉が分割する瞬間のことです。言葉を話せるものであればみな、もの心がつく遙か前に、必ずこの瞬間を潜り抜けてきたはずです。というか、今こうして発声しているそばから、実は潜り抜けつつあるのですが。ただ、この瞬間は、絶対に認識することができません。というのも、認識するには、言葉が必要ですが、そもそもこの言葉が生まれる直前の出来事のことだからです。絶対的な過去とはそういう意味です。
それ故また、この過去を潜りぬける主体は、言葉が生まれたあとの「私」とは違うわけです。むしろ、人称性が定まらず、ほとんど質料の流れと一体化した動物のような存在です。
だからこそ、音にまで砕け散った言葉の破片が、比喩ではなしに、突き刺さり、まとわりつく呻きとなって、身体の奥深くに貫入してくるわけです。
これと同様、タールの臭いもまた、質料の連続する流れとなって、観者の鼻孔からやがて身体全体を満たし、食い込んできます。たぶん、感覚が、こうして、ある種暴力的に身体を貫通する経験は、誰しも潜り抜けたことがあるのではないでしょうか。例えば、紅茶に浸したマドレーヌが、コンブレーという町全体の記憶を呼び覚ますようにです。
高山
それは場所との問題?
高熊
ええと、若干その話とはずれてますね。
高山
話を戻せば、画廊とか色んな場所でインスタレーションをやっても、囲まれた中という意識はないですよね。壁はあるんだけれども、我々がその場所をどういう意味で使っているかというのは、周りから決まってくるというか。ま、どこでやるにしても、その場所がどういう意味で、我々の日常の中でどう意識されているかってことを凄く敏感に感じる。
パリ・ビエンナーレでやったときは、いわゆる市立美術館と国立美術館がありましたが、僕らの見る限りでは、ヨーロッパの全体主義がそのまま建物になっているわけですよ。それに歯向かうようにやろう。それとどう拮抗できるか。場所とどう闘えるか、なんてことが自分の中にありましたね。
ただ、今やってる登米の展覧会は、ちょっと色んな問題があってこじんまりになっちゃったけど。主催者から、もう少し大人しくやってくれって。だから、大人しくしました(笑)。沼地や古い家、それに城跡があって、そうした色々なものともっと拮抗しようと思ってたんだけど、なかなか難しい。拮抗しようとすると、その場所を自分たちのものだと思ってる人たちは、やっぱり怖がるんですよ。僕は、そういうものを避けないことこそエネルギーだと思ってるんだけどね。
あと、何かにも書いたけど、戸塚スペース時代(1969前後)に、庭に塀があって、それが果たして内か外かって考えたことがあるんです。刑務所にも調べに行きましたよ。塀が、どんな意味を持っているのか、社会とどういう関係を持っているかってね。中の人が外に行かれない塀、遮断する塀。平常、塀というのは、外からの侵入者を防ぐものですよね。ところが、場合によっては機能が逆転することもある。我々は内側にいるのか外側にるのか。そうすると、塀をどう作ってゆくかが問題になってくるわけ。
それから、アラブ人は、わざわざ前の家の人から、風景を遮断してしまうんですよ。意識的に何メートルも高い塀を作って、外の風景を見えなくしてしまう。
我々が空間に対してどんな発想をしているのか。ヨーロッパだと、天と地を結ぶというか、神と結ぶような、垂直の構造が多い。いっぽう日本は少ないよね。建物に限らず、我々の動き方や自然の感じ方、つまり環境にどんな意味を想像しながら生きているかというのは、面白い問題です。たぶん、それは形として見える文化ではなく、有形無形の蓄積が無意識の構造を生み出すんだと思います。
そういう意味で、建物であれ、絵画であれ、生け花にも、我々がどう空間を読んでいるかが露呈しています。そこに、もう一つのファクターとして、例えば、死という概念をどうやって入れ込むか考えてみます。地下を意味するものとしてか、天上人として死を見るか、これだけでも発想が全然違ってきます。ファクターは色々あって、広さや意図、それから、建物であれば、どう歩き回れて、中へどう入ってゆけるかによって、独特の空間把握が看て取れるわけです。その最もコンパクトな実例がピラミッドだと思うんです。僕は、芸術って、こうしたピラミッドを作るものだと意識してるんだけどね。
高熊
壁の構造って、ローカルな地域に縛られるものではありませんよね。むしろ、その構造をどう捉え、修正、偏差を加えるかによって文化というものが分岐してゆく…
高山
だけど、壁って意図的に、政治的につくるものですよね。あるいは、日常的な生活の中で、壁をどう作ってゆくか、その中で自分がどう位置するかって割と使い分けて生きてるわけでしょ。
高熊
そう使い分けていながら、でも、作品というのは、どっちにつくわけでもなくて…
高山
例えば、ピッチャーがボールを投げるでしょ。そうすると、普通のボールが手許で変化したり、魔球になるわけじゃないけど、意味が変わる瞬間がある。さっきジャンプって言葉を使ってたけど、意味が変わる瞬間。
われわれ人間の場所が、どの辺にあるかというと、日常からもう一つ違うところにあったりする。地上から浮いてたり、上まで行ってはいないんだけど、ちょっと離れてるというか、そういう感覚はどこかにあると思う。それは、あなたのいう詩の世界でも、当然あることかもしれないけども。
高熊
詩は言葉を使うわけですが、それは、壁だとか、枕木から滲み出すタールとは違いますね。言葉は、物質に頼らず自律しています、物質に頼るものとなると、むしろ…
高山
どうかな。言葉だけが宙ぶらりんにあるということは、基本的にないと思いますよ。それに、目で見て言葉として感じる場合もあるし、耳で聞いて音で感じてることを視覚化することもあるわけで、感覚どうしが凄いスピードで変換し合ってるんだから。
高熊
それは、傾向性の問題で、枕木にも質料的な傾向と非質料的な傾向が同時にあるということだと思うんです。例えば、非質料的な傾向へ加速すれば、ボキャブラリーが増し、多彩な組み方が出来てくるわけです。そして、その組み方は、その重心や支点、あるいはそこからの距離によって、枕木に多様なニュアンスをもたらします。つまり、のっぺりした枕木に分節作用が穿たれるわけです。これは、言葉が呻きを分節するのと同じです。
だから、言葉なり枕木の組み方というのは、第一に分節作用として理解できます。反対に、物質には区切りがなく、ひたすら生々流転するしかない。
高山
いやいや、そんなことないよ。我々の時間の読み方だから。
高熊
そう。こっち、主観の問題なんですよ。
高山
植物を見てて、それが伸びるとするでしょ。木を見ても、明日になるとそれが違うことに気づかないんだけれども、じつは伸びてる。花が開いてるとか、萎れているとか。それは、全体の中のどの辺りで、分節しているのか。だから、部分と全体。歴史でいえば、諦観かな。全体と本質的なものとの関係という…
そう、俯瞰できる場所というのが重要なんですよ。我々は平面を見て歩いてるんだけど、じつは頭の中では俯瞰してるわけですよ。
彫刻および空間の問題
高山
彫刻って、僕は作らないんですよ。基礎要件として、重力、それからぐるりと回るという点があるでしょ。要は、重力による天地構造が、約束事として入っているように見えるわけね。だから、これはなれないなと(笑)。天があるのは構わないんだけど、それと拮抗するような塊は、僕には作れない。というか、マッスが作れないと思ったんです。ヴォリュームは作れるかもしれないけど。
ギリシャやロダン、西洋の彫刻を見ると、マッスが凄く強い。これは、並大抵のことではないんです。日本には、そういう彫刻はないですからね(笑)。仏像やフィギュアなんて、全然マッスでもなんでもない。日本というか東洋では彫刻を作るのは無理なのかな。だから、あえて僕は作らない。みんな、彫刻を作ってると思い込んでるけど、錯覚してるんだよ。
高熊
それは、興味がないわけじゃなくて…
高山
いえいえ、凄くありますよ。カロを見ても、やっぱり全然違うもんね。棒一本だけ使ってもマッスなんですよ。我々だとマッスになってないんだ。単なる線になるんだよ。これはもう避けようがないというかね。こういう風土で育っちゃったという、何かがあるね。だから、西洋の人に茶碗を作らせても、やっぱりマッスになっちゃうんだよね。日本のものはマッスじゃないでしょ。
高熊
その違いが出てくる原因って何でしょうね。
高山
うん、それが何なのかって、常に考えています。すぐには答えられないど、一番は、マッスを必要とする世界観なんじゃないかな。マッスというのは、外側に対する力をこう凝縮する力というか、ひとつの塊を作るのに、外側の力を全部そこにギュッと凝縮する。そしてまた、外に向かってゆける力を感じさせるんだよね。だから、そういう世界観みたいなもの、あるいは風土的なものなのかなぁと思うんだよね。
日本は島国だから、そういう必要性がなかったのかもしれない。井の中の蛙でいいわけだから。 日本の近代彫刻でも一所懸命、ブールデルとかロダンの真似をやるんだけど、マッスはないですよね。みんな、ここ(胸の内側)に溜める力になっちゃう。佐藤忠良も、こう内側にこうなってるでしょ。空気がここ(同前)に溜まるように出来てるんだよね。仏像彫刻も、痩せた姿で座って、ここ(同前)に空間ができるように作られてる。こう足や手を組んで、非常にシンボリックにやってるよね。そこに我々がイメージを馳せるわけだけど。
高熊
虚の空間に象徴性を見出す意味があるんでしょうね。ちなみに、例えば、東大寺の大仏さんの頭はどうでしょう?
高山
あれ、微妙なんだよなぁ。
高熊
参道を歩いて、いきなり暗がりからぬぼーっと(笑)。
高山
大きいけど、マッスじゃないよね、マッスっていうのは小さくてもマッスだからね。
高熊
ええ(笑)。カロがそうですもんね。どんなにパーツが小さく細かろうと、それらを束ねるある自律的な核がある。そこに凝集力が漲って、きっとマッスを感じさせるんだと思います。例えば、傘を広げると、布と骨が、張力によってパンッと張った均衡状態になる。それって、重力から自律した構造が自ら力を湛えているわけです。
高山
ボリュームとマッスの違いって、日本人にはなかなか分かりにくいのかもしれない。長崎にある北村西望の平和祈念像。あれだってボリュームでしょ。カレーライスの大盛りみたいなものだよね(笑)。だから、マッスというのは、近代に限らず、過去の仏像を見てもほとんどないですよ。運慶の中には時々、マッスを感じるものがあるけどね。大きさの問題はまた別ですよ。ただ、ボリュームといっても、小さくてもボリュームを感じるものとマッスを感じるものがある。そのボリュームとマッスの違いは、我々の文化には区分けする言語があまりないんじゃないかな。
高熊
そういう意味では、建築物に顕著かもしれませんね。ヨーロッパの教会は、ファサードが凄く凝ってても、表層だけに終始しないで、マッスがあったりしますから。日本のお寺だと、広がりにはなるんだけど、マッスにならないですよね。充実感がない。
高山
パルテノンなんかだと、柱があって外と空気が出入りできますよね。ところが、三十三間堂では、何だかひとつ内側で見るというか、外はあまり呼び込んでこない。人は出入りできるけど、外の世界が入り込む気配がない。僕はそんな感じがするね。
あと、平安時代の建物なんて、屋根はついてるけど、風通しをよくするためか、壁がないでしょ。それで、かりの、簾だとかを上げ下げしてね。だから、倉庫とか城は別として、一般庶民、農民にとっては、壁というと別な意味が出てくるわけ。
いまの日本だと、クーラーがあったりするから、自分では本当はいけないことだとは思うんだけど(笑)、壁はみんな様式化されてるからね。昔は何もなくても、適当に空気調節できたのにさ。当時と現代とでは、空間の意味は大分違うよね。
それから、こういう質問をよく学生にするんです。スペースって一言でいっても、宇宙と、こういう空間があるわけだけど、同じ意味なのかって。他にも、林檎をここに置いてるのと、テーブルの上に置いてる林檎、それにサッカー場の真ん中においてある林檎。これらはどう違って見えるかって。まず、この違いを感じてほしいんだけど、大概なんか変なこと言い始めたなって顔をされる(笑)。
バシュラールに『空間の詩学』という本があったよね。他にも、空間とは何かと問う、西洋の翻訳書がたくさん出たでしょ。でも、みんなやっぱり西洋の空間論なんだよね。日本の空間論となると、付録みたいにしかない。建築物とか具体的なもの以外は、日本の美というか、線遠近法のない描き方だとか、そういう空間の捉え方しかないんだよね。とりわけ構造的なものを、否定的に見ることが一時期あったし。ただ、今は逆なところで見直そうとするけど。やっぱり西洋の空間と我々東洋人がもっている空間とは違うんだろうと思う。特に日本は特殊な気がする。
高熊
ご自身の制作に際しても、日本の空間って意識されますか?
高山
常々それは考えてるよ。それから、僕が作ってみたい空間というのは、水の底とか。いま人工ダムがあるでしょ。水底で作りたいんだ。見るのは、上から覗いてもいいし、中にドームを作って、山からそこへ入ると、水中に彫刻があるとかね。下見ると村の跡があったり。水中から太陽が見えるように、もっと普通に地上が見えるようにしたいな。
高熊
タレルみたいな二十年越しのプロジェクトを…(笑)
高山
七ヶ宿ダムを作るときに、それがやりたくてね。新宮(晋)さんともお会いして「水ん中で動くもの考えてよ」って言ってたんだけど(笑)。彼の作品って、風と水で動くでしょ。
高熊
完全に水没させるんですか?
高山
そうそう。
高熊
今日は見えないねぇなんて(笑)
高山
展示する場所というと、空中に常設する作品はないよね。
高熊
それも考えてるんですか。枕木で?
高山
うん、重力だと思ってるものが、思いのほか視覚的に感じさせない世界になるような。むかし『美術手帖』(1972年10月号)で、誌上展ってあったんだよ。そのときに、飛行機の歴史の洋書を、古本屋から買ってきて、図版に枕木を書き込んで載せたことがあるんですよ。飛行機と枕木を組み合わせたのね。
高熊
あー、あれはそれを構想してたんですか。謎がひとつ解けました(笑)。
戸塚スペース
高熊
先にも述べたとおり、臭いなどの枕木の質料性は、記憶や歴史を喚起します。そして、それは、歴史上の特定の事項ではなく、人称性を欠いた一般的な歴史でした。ただ、人称性に縛られないとはいえ、それが顕在化するのは各個体においてでしかありません。そこで、あえて高山さんご本人に定位させるとすると、戸塚スペースの記憶が相当強いのではないかとお察しします。
手ずから土に触れ、整地し、肩に枕木を担ぐ。さらに、不意に地中から礎石が迫り出すなど、偶然の出会いもあった。質料の渦中にどっぷり身を浸していたわけです。
やがて、70年以降あちこちでインスタレーションをなさいますが、そのつど帰られている場所というのは、この絶対的な過去としての戸塚なのではないかと思うんです。意識するにせよ無意識にせよ。
高山
枕木を最初に作った場所があそこだからね。あそこからみんな出てきたというか。あそこで作ったものを画廊や美術館へ持って行ったりしてたんです。
当時は、ああいう場所でやろうと考える人は誰もいなかった。日比谷とか、野外展というのはありましたよ。台座を用意して、そこに彫刻を置くだけだけどね。
戸塚は、ある限られた庭でしょ。塀があって、むかし誰かが住んでて。おのずと、その場所がどんな意味を持ってるかが問題になるわけ。それから、整地しながらやってゆくと、色んな痕跡が出てきたり。意図したわけではないですよ。あの場所との出会いが、そういうことを生み出したんです。すると、自分たちの日常性にもハテナがつき始める。
仙台だって、市電が走ってたでしょ。石は除去したけど、レールは残ったまま埋めてるところがあるよね。ちょっと削れば、レールが出てくるんですよ。だから、我々の足許って、掘れば何か、時間が出てくる。時間がスライスされてくるわけね。
ペンキの塗り替えしてる人たちも、鑢で擦ると、何重にも層が見えてきて、あの時代こんな色がよかったのかなぁとか思うわけだよ。個人的な趣味が垣間見えたり、当時の流行の色が分かったり。そういうことに、興味があるんです。特段に意識してというのではなく、そうやって何気なく覗いてみると、記憶という断層が視覚化できる。
高熊
今回の県美の展覧会や、あるいは他の場所でも構いませんが、枕木を組むときに、戸塚のことを思い出すというのは全くありませんか?
高山
僕は、すぐ忘れますから。昨日のこともすぐ忘れる(笑)。だって、それは言わなくたって、どこかに入ってるんだから。逆に意識すると駄目。意識しちゃうと、頭がかじかんじゃうよね。その前にまず、その場所で生きてみることだよね。生きてみるというのは、生活するという意味だけではなく、そこに立って見て聞いて触って歩くこと。時間をかけて通って、二年とか三年かかりながら、自分の中に上ってくるものが何だろうという。
ただ、すぐそれに取り組んだり、解決したりはしないですよ。その時の問題は問題として、たくさん残るわけです。すぐには解決できないけど、別の新しい場所で、思い出すのとは違って、同じ問題に出会い直すかもしれない。そういうものだと思うんです。
高熊
そういう問題というのは、埃を払い除けたその下に、単に隠れているものとはちょっと違う気がします。むしろ、露呈しても、なお潜在するもの。潜在することによって、効果を発揮するものだと思います。それこそが、露呈した痕跡やそれを認識する仕方を、条件づけているわけです。そして、見て触れて歩く、そうした行為のなかでこそ立ち上がってくる。
高山
作るというのは、プロセスにしかないわけ。僕の場合、完成とか終わりというのは、宿題や問題が残ってても終わりなんです。そこに立ったとき、その中でおのずと終わりが生まれてくる。
だけど、これはいけないんじゃないかとか、こういう問題が出てきちゃったけど、どうしようかとか、いろいろ疑り始めるとまた零に戻っちゃう。
だから、止めるか、来年に回す。それは宿題にして、作るプロセスのなかで、分かった範囲だけで止めとく。謎の部分は、宿題にするんです。そこで頭がぐちゃぐちゃになるまでやろうとはしない。多分、そうしてたら成立しないと思う(笑)。折り合いだから。世界との折り合いみたいなものだよね。
高熊
例えば、土を掘ってるうちに偶然、礎石が出てきたわけですが、それによって、かつての住人の面影が忍ばれはしますけど、彼ら自身の精密な生活実態が問題だというよりも…
高山
ではないですよね。分かったところで、それを見せるためにやってるわけじゃないから…
高熊
むしろ、それを枕木と組み合わせたときに出てくる、構造に注意しなければいけない。
高山
県美の展示で、映像を投射してた一番奥、あそこに扉が置いてあったでしょ。あれは、本吉の廃校になった中学校の防火壁なんですよ。芯は木造で、ブリキが覆ってる。何教室にもわたって廊下に設置されてたものです。それを8枚ぐらい持ってます。いずれ何か作品に使おうと思って、貰ってきたんですよ。
あの辺で拾ったものとか、たくさんありますよ。ピアノもそうだし、別に今回の展示のために用意したわけではないんです。要らないピアノを貰ったんだよね、
高熊
それは、ご自身で何か思い出があるわけではない…
高山
ない。捨てようが、焼こうが、勝手にしていいよっていうやつだから。
高熊
なるほど、それはいいですね、
高山
他にも机や、漁師が使ってる道具も転がってたんですけど。
高熊
ある意味、リサイクルというか、実際の過去とはとりあえず切れてるわけですね。
高山
そうです。拾ってくるわけですよ。貰ってくるというか。U字工の蓋や、大きな本管の作るための芯。あれは、放置してあったのを、これ頂戴って言ったら、勝手に持ってけってなってね。見てるうちに、瞬間的に何かイメージが出来るんです。僕の中にひょっと生まれてくる。でも、いつやろうか、いつまでやるか、それは分かんないんだけど。
土管を使ったりするのは、基本的には、下水、ちょっと地面より低いところにあるからだね。
高熊
拾ってきたものを使うというのは、実際に展示場所を見たとき思い出したものを引っ張り出してくるんですか?
高山
いやいや、それは全然関係ない。場所とは関係なくて、こっちの中で別の場所を作っちゃってるから(笑)
高熊
拾ってきたものが先にあって、そのイメージに合う場所が出てきて初めて使う。
高山
うん。それから、戸塚スペースみたいに、掘ると色んなものが出てきて、その場所と完全に密着しながら作るというのは、今なかなか出来ないですよね。
画廊でした展示で、場所と密着したのは、床に穴を開けたことがあったね。掘り起こして、砂利やら土を掻い出して、そこに枕木を埋め込んで立ててね。さらに、蒸気を流したんだ。そういうのは、もう出来ないよね。
あと、青城画廊でもやったな。壁に穴を開けたんです(笑)。青城が移るときに、壊すというから、それなら、その前にやらせろって。壁に穴を開けて、そこから枕木がひょっと出てくるようにしました。
今は、日本の場合、具体的に場所を触ってゆける場所ってないんですよ。ただ、外国では十分あるんですよ。かえって、現状ではそういう作品の方が多くなってる。わざわざホワイトキューブではなく、古い建物や遺物みたいなところで、色んな人がやり始めたでしょ。これは日本でも流行してるけど、外国では、そういうところで永久コレクションにしちゃうんです。場所そのものと作品を、一緒に保存するということが向こうでは起きてる。日本ではそれが出来ないんだよな。まぁ、直島みたいなやり方はまた別としてね。
高熊
さっきの水中のは、そうしないといけませんね。
高山
だから、なかなか難しいんですよね、あれは。
高熊
ガラスを使って、その上に水が張ってあって、凄い金額になりそうですね。
高山
やれないことはないよ。それに近いことをやってる人もいるよ。
博物館でやってる展示方法も使えると思うし。床を掘って、そらに土器の破片を散らばして、そこにガラスかアクリルの蓋をするんです。地面の下に、発掘したものを見せるわけね。
面白そうなのは、仙台にある地底の森ミュージアム。あんなところに作品を置いたら全然違ったものになっちゃうんだけど、ああいうものとも拮抗してみたいね。
それから、富山の発電所美術館。今はヤノベケンジがやってますよね。天井からピューと静電気が走る装置を作って、そこに5tくらいの水瓶からダァーと落とす。終末的な洪水のイメージ。むかし、70年代に僕も水を溜めて、道路へ流そうとしたことがありましたけどね。小規模になっちゃったけど。
高熊
『美術手帖』(1973年10月号)の表紙になってた…
高山
うん。
ドローイング
高熊
細かい面では、共通する点もあると思いますが、インスタレーションとドローイングではずいぶん違いますよね。ご自身では、ドローイングをどのように位置づけておいでですか?
高山
枕木のインスタレーションのために、ドローイングを描くことはないですね。描くときは、このフィールドで何ができるかという意識だけです。単純ですよ。ただ、バァと置いたらそれで終わりとか(笑)。基本的には平面として制作しますが、かといって、平面として完成させようとはあまり考えていません。ある程度、読み込みながら、平面的な中での空間が自分の中に生まれてくるようなことに繋がればいいなと。ふっと出てきたら終わりという点では、完成させるという感覚があまりないということですかね。
高熊
そうすると数量が重要ですね。
高山
数はたくさん作りますよ。100枚作って、うち10枚ぐらいしか使えないというときもあるし。あとの90枚はどうするかというと、眺めてる内に、切り刻んでみたり、何かを加えたりしながら変容してゆきます。イメージトレーニングみたいな感じなんだね。
高熊
枕木の場合、歴史や記憶の意味が強いですが、いっぽうドローイングではそういう印象は少ないですね。後者の場合、あえて意味を削ぎ落としてるのでしょうか?平面で展開できるものに集中するために。
高山
そうです。つけ加えると、版画的な要素も作用してます。ものに墨をつけてポンと終わりとか。周りに筆をぐるっと回しただけとか。絵を描くという気持ちよりも、その辺のもので、作ってますから。それから、水と絵具、材料をどう意識するかも大事なことです。素材は何でもいいんですけど、普通の藁半紙をピタッとつけて剥がしたら、どんな形、あるいは質感になるのかなとか。これをこう使うと、こんな調子になるのかとか。そういうのが楽しみでやってます。
三角定規があれば、それをポンと置いてみるとか。お皿があれば、それにこう墨をつけて転がしたらどうなるだろうとか。そこで、何が出てくるかですよね。それを、改めて読みなおすというか、何か生まれたものに、何かしら補助を加えたりするわけです。補助したつもりが失敗しちゃうこともあれば、ワァッと出てくることもあります。それが楽しいかな、やっぱり。
高熊
枕木とドローイングでは、同じく物質性が強烈ですが、制作の段取りや意識が全然違うわけですね。
高山
そう。ただ、ドローイングとは違いますけど、枕木に関してもマケットを作るんです。1/10や1/20の棒を使って、ブワッとばら撒いたり、ちゃんと構成的に並べたり。それを、画像に撮って、たくさん溜めておくわけです。もちろん、記憶にも入ってゆくから、いつどこで、そのイメージが出てくるかは分かりませんけど。
高熊
枕木だと、組んでいってひとつの単位ができて、それを組み合わせてイディオムができる。いっぽうドローイングでは、構築というより、思いつきを次々と試してみる傾向が強いわけですね。
高山
うん、そうだね。
高熊
大きな違いがあるものの、逆にドローイングで閃いたイメージが、枕木で展開されることはあるんですか?
高山
ありますよ。
高熊
(枕木のマケットの画像を見せてもらいながら)ここからドローイングにもゆけそうですね。立体からドローイングに結びつくことはないんですか?
高山
マケットを使って、ドローイングを作るのは、考えたことはあるんです。でも、俺はそれやっちゃうとダメになるんだよね。やらないようにしてるんだ(笑)。模写になっちゃうんだよ。平面図として出すなら、それでいいのかもしれないけどね。自作を模倣してるみたいな感覚に捕われちゃうんです。マケットは、空間構造的なものが働いている、その起きてるプロセスを利用したいだけだからね。
それから、マケットを作る意味には、もう一つあります。俯瞰できることです。だけど、ドローイングでは、それをそのまま横流しするような表現にはしたくない。マケットとは違う空間に出会いたいんです。みんなは、マケット的なドローイングを見たいと言うけどね。
高熊
川俣(正)さんなんか、ドローイング的なマケットを商品にしてますものね。
ところで、俯瞰というと、一般的には、平面、つまりドローイングにこそ有利な点です。それが、高山さんの場合は逆に、立体に俯瞰性を求めながら、ドローイングの方には、手許で起こる触覚的なものを見出しているわけですね。
高山
そうですね。そうそう、こういうマケットを作ったら、売れるんじゃない?って言われますよ。
高熊
きっと売れますよ。
高山
でも、なんか盆栽作ってるみたいでさ(笑)。
(手にとりながら)こういうオブジェなら作ってもいいんですよ。全然違うでしょ。これは、今回の県美では全然出さなかった。やりたいことの一部しか出してなかったんですよね。
あと、1/20の鉄の棒では、オブジェっぽく、石と組み合わせたり。(雲の画像を見せながら)これは、こっちに来て、夕方に撮った写真。面白い空だったからすぐ撮ったんだ。雲の形が変でしょ。徐々に変わる。朝4時ごろに起きて待ってるんだよ。変化してゆく雲の写真を撮るの好きでさ。ドローイングと同じだよね。天がやってるドローイング。
高熊
なるほど。ドローイングそのものも、平面上に起こる出来事が問題ですものね。人がコントロールしきれない部分を展開するという意味では、自然現象と同じなわけだ。いっぽう枕木になると、構築性が強くなる…
高山
まさに構築。偶然が出来ない。何しろ色々に読まれてしまうから、それを明解にするのか、どう天地のなかで生まれるようにするか。そんなことを考えてますね。
高熊
偶然性を展開するドローイングと構築するインスタレーションでは、かなり制作の意識が切り替わるのではないかとお察しします。偶然広がるイメージと地道な構築作業。ずいぶん性格の違う両者を、同時に手がけられるのは、何か理由があるのでしょうか?
高山
自分でもよく分からないな。あんまり欲がないんだよね。天地と遊ぶのは楽しい。雲の写真を撮るのもそうだし。むかし渦巻き描いてた時代は知らないかな?渦巻きが好きだったんだ。ダ・ヴィンチの絵に触発されたんじゃないかな、終末論の中での洪水を描くという。
高熊
まったくの自然現象としての竜巻なんですか?
高山
そう。それを模式化してるんですけどね。
高熊
例えば、遠藤利克がグルグルって描いたりするじゃないですか。ああいうドローイングではないわけですか。
高山
違うね。そういえば、彼がまだ若い時、学生のときに読んでて…『蝋燭の焔』って誰が書いてたっけ?
高熊
バシュラール。
高山
そう。バシュラールを読めって言って、学生のとき随分バシュラールにやられたからね。
高熊
大学生のときですか?
高山
そうです。高校の時は、実存主義的なものばかり読まされてた。ハイデガーとかサルトルとか。哲学書なんて分かるわけないのに。読んだって、哲学用語が分かんないわけよ。勉強してないんだから。でも読まされたよね、先輩に(笑)。大学にも面白い先輩がいてね、その時フッサール読まないと駄目だって言われたんだ。一応デカンショ(デカルト、カント、ショーペンハウエル)は読めと。
高熊
旧制高校みたいですね(笑)。
高山
文学の影響は大きいですよね。当時は、文学や哲学思想を専門に出す出版社があったからね。今はもう潰れちゃったでしょ、みんな。
『伝統と現代』っていう雑誌があって、全号いまでも持ってるんだけど、ああいうのを読んだり。あと、あの頃は映画。新宿にあったアートシアターで、ベルイマンばっかり見てた。色んな意味で刺戟がありましたよ。それから、東洋的な宇宙論みたいのが、パァと出てくるとか。
そういう意味では、区別なく、かたまるわけでもなく、わけ分からず読んでた。時代なんでしょうね。
高熊
美術以外の表現って、しようとしたことはありました?詩でも小説でも。
高山
詩はときどき書いてた。中学校の時にはリルケが好きで、いつも持ち歩いてたな。その他にも詩はいろいろ読んでたよ。
高熊
自分で作ったりも?
高山
作るというより、出てくる言葉をつらづら書き留めるだけですけどね。時間とか空間とかについてね。
あとは、アメリカの現代小説や、アレキサンドリア・カルテット、それからノーマン・メイラー…カポーティで終わっちゃったのかな。『冷血』を読んで、あー終わりだなって(笑)。『物質的恍惚』のル・クレジオも読みましたね。今でも書いてるけど。彼は、日本にも来てるんだよね。新聞にもちらちら書いてた。
そういえば、展覧会のカタログに書いてもらった、宇野邦一さんにも、70年代に会ってるんだよね。
高熊
あ、そうなんですか。それはどこでお会いされたんですか?
高山
友だち、70年代の友だちを通してですよね。(田中)泯さんとか、木幡(和枝)さんとか。
高熊
彼が留学する前になりますか?
高山
うん。そうそう、土方(巽)に言われたんだ。仏文に面白いのがいるから会ってくれって。それで知ったんだ。
土方の仕事も手伝えって云われたんだけど、断ったんだよね。装置を作れって云われたんだけど。
高熊
どうして?
高山
土方の作品は好きなんですよ。でも、絶対あいつの色がついちゃうと思って、止めた(笑)。泯さんとやる、恋愛舞踏の装置を頼みたいって言ってきたんだけど、後輩を紹介したんだ。
高熊
残念。
高山
あの人独特の世界というのは、やっぱり簡単に切り崩せるものじゃないからね。泯さんは問題ないんだけど、土方が入ると…あいつ、また絵に詳しいからね。美術にね。ま、彼流にだよ。
高熊
そのころ宇野さんとお話しされたことって覚えてますか?
高山
忘れちゃったよねぇ(笑)。今回のカタログ見ても分かるけど、彼、リアス・アーク美術館に作品(「遊殺 2004」)を見に来てくれたんだ。そこで、見た瞬間パッと「死体置場だ」って言うんですよ。今までつき合ってきた美術評論家とは、やっぱり視点が全然違う。で、すぐそばの地面に、蟻地獄がたくさんあるわけよ。死体置場に蟻地獄(笑)。
高熊
出来過ぎですね(笑)。彼が専門にしてるのはアントナン・アルトーなわけですが…
高山
アルトーは大学のときに読んで、やっぱりショックでしたよ。普通に通じる人ではないなって。
あと、ゴッホを読んだよね。牢獄で書いたやつね。ポール・ニザンもよく読んだな、いわゆる裏切るとは何かという。
高熊
青野さんから伺ったんですが、宇野さんのカタログの文章がとても…
高山
いいと思った。今までの批評家が書くようなのとは違う文章だった。
そうそう、今回の展覧会に合わせたシンポジウムで、椹木(野衣)も、もう一回見直すみたいなこと言ってたな。通念的な見方とは全然違うものを感じたって。一緒に連れてきた仙台出身の彼は、逆にジャーナリスティックな…
高熊
高島さんって仙台出身だったんですか?
高山
うん、もともと『読書新聞』にいた人だけどね。仙台三高にいた人。
高熊
宇野さんの文章で、面白かった点というのはどの辺りですか?
高山
あちこちに僕が書き散らしたものを、自由自在に引用してある方向へもってゆくでしょ。なかなか凄腕だなと思いましたよ。彼の講演会を聞いても、やっぱりものを考えながら言ってるわけよね。自分で考えて、行ったり来たりしながら、ある答えを出すというよりも、その歩み方が、独特で面白いというか。
高熊
椹木さんのお名前も出ましたが、『美術手帖』(2010年5月号)に展評も書かれてましたね。
高山
それのずっと前に、彼の著書『日本・現代・美術』の中で、僕のことに触れてるんですね。ただ、そのときの彼は、僕の作品をほとんど実見してないわけですよ。世代的に、見られないですからね。そこで、記録から辿っていって、彼独特の史観のなかに、僕を位置づけて論じていました。それが、今回の展示を見るなり、思い描いていたような、固定観念的なものとは違うものを見たと。終わってからも、面白かったと言ってましたよ。
それから、今回の展覧会を担当してくれた和田(浩一)君のこだわりに、構成の問題があったよね。今までは、僕の作品に関して、構成を問題にした文章ってあまりなかった。僕が、ことあるごとに枕木の歴史を云々するせいか、作品の解釈がみんなそこへ集約されちゃうんだよね。
ところで、我々の仕事をヨーロッパやアメリカへ持ってゆくと、ジャパンを見たがるわけですよね。エキゾチックなものが好まれる。僕はそれが厭でね。具体の美術なんて、スペインの新聞に「神風」って書かれてるんだよ(笑)。あと、大和魂とか。それから、ドイツとか外国で、日本の現代美術を紹介しようとすると、今だによく桂離宮と並べられたりするし。形状やスタイルが似てるって。そういう日本理解は嫌だなぁ。気持ち分からないでもないけど。
逆に、僕がアメリカにいたとき、一番面白かったのは玩具だね。玩具の中にポップ・アートの素が全部あるんだって発見したんです。一般の人たちの記憶が、玩具や民具に形として詰まってるんですよ。それを、ポップ・アートの人たちが鋭く見抜いたんだと思うんだ。
日本にいると、作品そのものよりもテキストから始まっちゃうことが多いでしょ。作品を見ても、文化的背景や色々な背景がほとんど見えず、思想とか哲学的背景を読もうとしちゃう。そうではなくて、目の前に広がる世界をどう見るかというのは、重要だと思うんだ。でも、翻訳文化だからね、日本は。翻訳文化の欠点ってあるよね。それは、近代だけでなく、ずっと以前からそうだけど。
例えば、雪舟が中国から帰ってきて、その弟子が中国へ渡ったときは、もう目当ての国がなかったり。しかも、そいつが帰国するともう流行から遅れてるわけですよ。だから、雪舟の弟子って、どうしようもない。絵を見ると酷すぎる。流行が変わるというのも、日本の場合、変わるのに理由が無いからね。アメリカが風邪ひくとこっちも風邪ひくって程度で(笑)。
そういう文化に対する怒りというか、反発に目覚めるのは、安保闘争なんかで挫折した時代からだと思う。日本の近代化ってヨーロッパから吸収する一方だったけど、70年代から変わったんだよね。ま、そういう意味で、ヨーロッパ人が具体に触れて、それまでになかった世界をちらっと見たわけでしょ。大和魂だか、神風だか知らないけども。あるいは、アニミズムみたいなものを。でも、日本人じしんがアニミズムを意識してやってたわけではないんだよね。
そういえば、今のフィギュアの世界ってアニミズムでしょ。幼いうちからアニミズムに浸ってる。怪獣もロボットも、みんなアニミズム。ヨーロッパ人から見れば、コンピュータに、神棚おいてお参りしている日本の文化って奇妙ですよ。なんでコンピュータにお祓いしてるのかって(笑)。日本人じしんが、当たり前にやってるから、気がつかないけど。何やってるの?って聞かれたら、何とも答えられない。
日本って結構3Dの技術が進んでるらしいね。『アバター』は詰まらなかったけど、3Dが、これからどう人間生活と関わってくるかは興味深いよね。
高熊
3D固有の表現となると、まだまだ難しいでしょうね。
高山
まだ何ができるか分からない。立体的に見えるだけなら、僕ら小さいときからあったしね。立体映画や写真集もあった。ただ、立体的というだけでは、あまり面白味はなかったかな。疲れるだけ。筋肉運動を使うから。
従来の映画と3D映像では何が違うか。例えば、感情移入を取りあげると、平面の映像の方ができる。3D映像だと没入感は生じるけど、感情移入はできない。蠅や飛行機がそばを飛ぶとか、その空間の中に飛び込んだような没入感は生まれるけど、感情移入は難しいかな。
高熊
没入というか、反射や知覚に訴えるには有効なんでしょうね。感情移入も含めて、精神的なものになると心許ない。
高山
臨場感や感じるということと、生理や知覚的なものとの関係性を組み立て直さないと、その辺は分かんないんだろうね。
高熊
大規模な個展を終えられていかがでしょうか。何かご感想をお聞かせ願えたらと思うんですが。
高山
なくなってからもまた見てみたけど、あそこで何をやったんだろうって。空見てさ、空間見てさ、もうけろっと忘れてるね(笑)。
高熊
感想じたい忘れちゃいました?(笑)
高山
自分からすると、面白かったよ。ただ、展示中に、僕が空間について考えたことが、みんなに伝わったわけではないからね。どこまでみんな見られたかなぁと思うよね。
見る訓練って、日本の場合は自然任せでしょ。あるいは、心で見なさいってなっちゃう(笑)。でも、西洋だと逆に、見るということを科学的にしようとしたわけじゃない。ただ見るといったって、どう見るか。その歴史の厚みがあるわけ。その文化の違いって大きいと思うんだ。もちろん、どっちも悪いわけではないんですよ。
いずれにしろ、みんながどう見るかなって見てると面白かったですよ。子どもがどう動いてるか、大人はどう動いてるか、空間にはどう入ってきたか。それ見てて、あ、この人いま見てる、いま感じてるとかさ。あと、非常に細かいところまで見て、「枕木が全部違う。一本一本読み込んでやってますね」なんて言う人もいたしね。「角の当て方も、ものすごく計算してるんだね」とか。見てる人は見てる。ちょっとした色の違いを見て「どれでもいいわけではないんですね」とか。それから、廻廊のように柱が並んでたでしょ。その柱の中で見たり、柱の外から見たり、中へ入って見たり、回遊して見たり、矩形のなかの軸を見たり、中心にちょっとした鉄板、鉄でできた枕木ではないものがじつは中心にあって、そういうことをみんなどう見るのかなって。
高熊
なるほど。作品を見る観客じしんが、じつは高山さんに見られてたわけですね(笑)。
高山
そりゃそうですよ。歌手や演劇の人だって観客が何を見てるか読んでるわけでしょ。
高熊
今回は、美術館の敷地をフルにお使いになり、おのおのの空間でその空間固有の表現を手がけられていたと思います。空間に応じた表現の異同というのは、おのずと異なってきたものなんでしょうか?それとも最初に完成イメージがあって、それを外向き用と内向き用に仕分けたのでしょうか?
高山
それは意図的に決めました。一番奥の倉庫では、原型のようなもの。真ん中のやつは、枕木を吊るのと床を掘る作品。一時期やってた吊る仕事と、初期の床から出す仕事を合わせたんです。床に穴を開けたかったんだけど、掘れないから、台を作ってそれらしく仕上げました。そして、外の中庭でやったやつは、フレームを意識した作品。中庭を囲む壁が作る天のフレーム。あそこは、一番俯瞰できる場所だから、本当は上から見せたかったんだけどね。それと、ここの風景というか、いつも自分が通っている道から見える山の形だとか、そういうものをみんな取り込みながら、何とか空間を作れないかなと思ってやったんです。こういう形があったでしょ、白い木材で。あれ、ここから見える山の形なんですよ。
高熊
あれは、最初からあの大きさだったんですか?それとも、もっと大きくなる可能性があったんですか?
高山
いや、長さは枕木サイズだし。
高熊
ああいうアーチの形って象徴的ですよね。かつて白州やPS1で作られたときは、上へ上へという形象が多かったと思います。それと比べると、今回のは低かったですね。
高山
天に四角いフレームがあったでしょ。あれ以上出しちゃうと、柱の位置とか色々なかねあいが悪くなるからね。
高熊
あの空間だからこそあの高さになったわけですね。
高山
そう、あそこから下を潜ると飛び出すアイディアもあったんだけど、それはちょっと構造的に難しい問題があって出来なかった。というのは、あそこの床って、傾いてるでしょ。
高熊
はけのため…
高山
うん、だから真っ直ぐにはならないんだよね。下になにか履かせればいいんだろうけど。ただ積むだけでは、美術館が不安がるのよね。倒れないけど、地震が起これば崩れるって。そうすると、全部ボルトを締めしなきゃいけない。鎹じゃ利かないからね。ニューヨークでやったときは全部ボルト締めだったんだよね。ニューヨークは、周りのビルが相当高いからさ。それでも、作品の高さとしては7mだったかな。
高熊
高いなぁ(笑)。県美の話に戻しますが、屋内の展示室の、あの照明の落とし方というのは…
高山
あれは天井のフレームを出したくなかった。あそこの天井って、蛍光灯用のルーバーがダァーッと全部入ってるでしょ。前にやったとき(アートみやぎ 2003)も消したくて消したくて。
高熊
なるほど。
高山
照明を入れると、あのルーバーが見えちゃう。そうすると、升目が出て、視覚的に凄く強いんですよ。それを避けたかったんです。もうひとつは映像を入れるために…
高熊
何ヶ所かスポットを当ててましたよね。ピアノとか。あれは当てたかったんですか?それとも当てざるをえなかったんでしょうか?
高山
当てようとしてたよね。照明については、何回か全部やり直したんだけど、そもそも器具が美術館にそれほどないんですよ、いいものが。いま照明器具って色んなのが出てるでしょ。それと比べると凄く幼稚なものしかなくてね。どうしても設備上の制限があったわけです。
高熊
ピアノやベッドなど、枕木以外のものが組み合わされると、それだけで結構インパクトがあります。そこにスポットが当てられてたので、視線が否応なく集中していたように思います。果たしてそれがいいのかどうか。じつは僕の周りで小さな論争があったんです(笑)。
高山
慣れちゃうとそれほどでもないと思うんだけどね。しばらく中にいると見えすぎるぐらい見えちゃうから。外から飛び込んでくると、そう見えちゃうのかもしれないけど。あと、暗いから枕木に躓いたりしてね。それに、闇って非常にシンボリックだしね。
高熊
県美ぐらいでしょうか?あれほど暗くしたケースというのは。アートみやぎのときもそうでしたよね。他の展示場所で暗くすることってありました?
高山
あんまりないね。アートみやぎのときは、鏡にしたいという意向もあったからね。ガラスケースを全部入れて鏡の役目をさせて、下にもガラスを入れて。あと、やっぱり、ルーバーを見せたくない。
それから、壁の色が嫌いなんです。一回めのとき(第1回「みやぎの五人」展 1983)は、明るくやったんです。でも、あの壁の色は、何ともいえない。焼けちゃってさ。ライトにもよるんだけど、なんか紫色の、わけ分かんない中途半端な色でね。写真に撮るとまた嫌な色なんだよね(笑)。
じつは、床についても、いったん剥がして、コンクリート剥き出しにしようかどうか考えたんですよ。ところが、小林正人の展覧会のときに、剥がしてるんだよね。その後に、強い糊をしちゃったらしいんだ。だから、剥がしたところで、糊の跡がぐにゃぐにゃ模様になっててさ。これは使えないと思って止めたんです。
そういえば、正人また今度芸大に来るよ。油絵の先生。
高熊
いろいろ謎が解けました(笑)。
高山
照明器具ももっといいのがあればね。ピンスポもろくなのないし、広がるやつもない。映像についても、本当は、映写機の光量だけでフロア全体が見られるぐらいにしたかったんですよ。あの映写機では光量が圧倒的に足りなかった。
高熊
それは勿体なかったですね。
高山
映像だけでね、その光の余力で…
高熊
それを見たかったです。
高山
凄く小さいやつで、もっと近づけて投射すると、映像が伸びないからって、あそこまで引っ張ったわけじゃない。すると光量が弱くなって…
高熊
そうか、いろいろご苦労があったわけですね。
高山
あるよ(笑)。美術館と喧嘩してても始まらないからさ。昔だったらもっとガンガン喧嘩してたんだろうけども。
予算ないんだもん。ライトでも、こういうふうに絵があるとしたら、そこにしか当らない精密なものがあるのね。しかも、ちゃんと四角になってる。煽りが利くように絞りまで、コンピュータ制御ができるんですよ。いまやデパートでもどこでも使ってるぐらいなんだけど。でも、美術館は古い。もっと酷いのは、彼らの仕事環境なんだよ。コンピュータも容量が少ないし、働いてる人たちの条件もかなり厳しい。自分のパソコンを持ち込んでも、ネットに繋ぐために、あらためて登録しなくちゃいけない。確かに、セキュリティの問題なんかもあるんだろうけどさ。
曼荼羅と俯瞰
高熊
曼荼羅って、高山さんの口端にしきりと上りますよね。でも、寡聞にして、それについて話すか書くかした記録をあまり目にしたことがありません。教えて頂けないでしょうか?
高山
曼荼羅については、授業では話すんです。
高熊
断章風に、短い文章で書かれたもの(『Noboru TAKAYAMA,1968-1988 Installation works』 ギャラリー21+葉作品集シリーズ第2巻)なら読んだことはあるのですが。
高山
立体曼荼羅と平面曼荼羅があって、曼荼羅そのものは、平面でありながら立体的にも捉えられる。立体曼荼羅というのは、こう組み立て式になっていて、持ち歩けるのもあるし、実際の寺院もそうなんですね。曼荼羅を立体化して作られている。
そして、基本的には、三角丸四角で出来ています。
僕の場合、仏教的な読み方ではなく、空間の読み方として理解してるんです。とても理に叶ってるのよね。
高熊
造形的にということですね。
高山
曼荼羅の元になってるのは、三角ですよね。上を向いてるのが男性原理で、下を向いてるのが女性原理。それを組み合わせて六芒星ができる。三角と四角と丸って、全部内接外接で構造が出来てるんです。揺るぎない。四角の中に三角が含まれ、さらに内接も外接も出来る。そういう構造の中に、そのままひとつの形が、切っても離れないものが内蔵されてる。それが広がるときに、辺というのはどう意識されるか。そういう空間の読み方が面白いなと思ってね。ユングから始まったんだけど、やっぱり僕は美術だから、視覚的な空間の読み方に興味が行っちゃう。
高熊
枕木を組み立てるときに、曼荼羅をヒントにしたりなさるんですか?
高山
特にしないです。実際の曼荼羅を使うことはない。曼荼羅に対する、僕なりの読み方で考えるというだけであって、曼荼羅を模写してるわけではないからね。
ただ、曼荼羅には、平面と立体があるわけです。俯瞰した図と立体的なものが常に共存する構造というのは、僕にとっては昔から馴染み深いわけですが、両者が同時に見えるやり方を何とか実現したいなぁと考えているんです。
現実に道をこう歩いてても、地図を描くと俯瞰するでしょ。立体的に描く必要はない。二次元と三次元をすぐ変換できる。そういう行ったり来たりする、我々の空間把握みたいなものを、制作時にはいつも意識してるんです。
高熊
俯瞰するというのは、現実的に全体を見渡すという意味もあるのかもしれませんが、ただ、全部を見なくても、例えば中庭の作品であれば、歩いてる最中、脳裏に自ずと描かれてるものだと思うんですよ。
高山
山から見下ろして初めて、眼下の町のつくりの意味が分かることってあるでしょ。なぜ道路をあのように作ったか、なぜここに建ってるのか。意味が少し分かってくるということがありますよね。そういう感覚って凄く大事だと思ってるんです。
高熊
ええ。ただ、実際に作品の中を歩いた感想からすると、その全体像というのは、固定された俯瞰図というより、そのつど生成しつつある可能態という印象が強いんです。僕が上から見てないせいもあるのでしょうが。
高山
カタログの中にあったよね、俯瞰した写真。
高熊
ありましたね。
高山
ずいぶん上で撮った写真ですけど。
高熊
何故そんなことをお聞きするかというと、昔の『美術手帖』(1972年12月号)で藤枝晃雄さんが高山さんにインタビューした記事があり、高山さんが気になる発言をなさっているからなんです。
「村」を俯瞰するしないという文脈で、まず藤枝さんがこう述べます。「村をウロウロしただけでは体験できないでしょう、それだけでは村にならない」。それに続く高山さんの発言です。
「僕の言ってる村というのは、ヒューマンであるとか、人間の存在のあり方を問い直すのではなく、村そのものが存在する理由みたいなものです」。
つまり、俯瞰して見えるものというのは、実際に目に見えているものというより、「存在する理由」、村そのものが存在する理由だと仰っているわけです。作品を成り立たせている条件、根拠です。
現実に俯瞰して見えた構図って見たままそれ以上のものではありませんが、ここで触れられているものは、もっと過剰なものではないでしょうか。そもそも、実際の村でも、起伏や神社の位置から伺えるものは、土地を貫いている様々な力線だと思います。プロットされた単なる地形図や地図記号ではないはずです。
高山
中国でいえば気だよね。
高熊
そうですね。土地を構造づけている条件です。それは目には見えないわけですよ。高山さんが俯瞰するというとき、見てるものというのは、この不可視の力線、土地の条件の方じゃないかと…
高山
そうですよ。もっと具体的にいうと、国を作ろうとするとして、ある武将が山の上に立って、どうやって守るか、どうやって攻めるか…
高熊
色んな可能性を考えますよね。
高山
どこを中心にしてどこに人を住まわせて、水をどこから引っぱり、風の道に対してこうするとか。そんなこと考えるわけじゃない。そういうのにたけてる人が長になるわけでしょ。
高熊
それは、目に見える以上のものでしょう。土地を走ってる様々な力線があって、その力線に対して、祠をどう設置し、どこに家を建てるか。作品であれば、枕木をどう組み合わせ、どこに置くべきか。
見る人、あるいは住む人でも結構ですが、彼らは、作品や土地へ入っていって、実際にその力線を体感するわけですよ。枕木を跨いだり、潜ったり、遠くから見たりして。そして、そのつど跨ぎ潜るたびに、力線が描く全体像が活性化される。見る人が関わることによって初めて、全体像が動的に立ち上がるわけです。
高山
それを自然に感じてもらえれば一番いいんだよ。
高熊
でも、上から見ると、タブローに見えちゃって…
高山
図面に見えるわけね。
高熊
そう。それで誤解される可能性があるんじゃないかと思うんです。
高山
それもあるね。だから自分で歩いてもらって、想像できると一番いいんだけど。両方経験する必要があるんだよね。人間が営む地面の部分と、上から見るのと。上からの視線だけで国を作ると…
高熊
抽象的な世界にしかならない。
高山
そう。だから、両方が必要なわけよ。いま日本はそういうの、間違えてるから。
高熊
僕の知人で、上から見た人もいますが、そうするとやはりデッサンというか、平面図に見えちゃうらしいんです。それはちょっと違うんじゃないかと。
高山
上から見ても、枕木の構成だけじゃなくて、外の風景を見なくちゃいけないんですよ。じつは構成されたエリアと、仙台の街が一緒に見えてるわけ。一方で、構成されたエリアには、現実からスポッと抜けたような時間が流れてる。他方で、現実の空間が隣接してる。同時に見えるわけだよ。そこで何かを想像してもらわなくちゃいけない。ただ平面図に見えるだけで終わってるわけじゃないんですよ。
高熊
ちょっと話が戻りますが、曼荼羅って、内蔵されたものが自己展開してゆくものですよね。でも、高山さんの作品は、とくに内蔵もしていなければ、自己展開というのとも違う気がします。むしろ、一見任意とも見えかねない単位を組み立てて、場所に応じて適宜それを配置してゆくわけですから。
高山
それは当然ですよ。曼荼羅って世界の縮図なわけよ。でも、僕には、過去から未来まで、つまり永遠の世界を見せる狙いはないですからね。僕は、自分が通りかかっているこの一瞬だけにしか関われないわけです。だから、作品を残す必要すらない。一過性というのは、僕にとって凄く大事なんです。一回性ではなく、一過性。
高熊
なるほど。それは、作る側としても、見る側としても…
高山
作品が、見る人の中にどう残るかは、別の問題ですよ。僕には触れられない部分。だけど、僕の場合は、一過性というのは、演劇的空間として見えるんではないかと思ってる。だから、枕木を使って一人芝居をやってるみたい(笑)。そこで、中に入ってきた人もまた、枕木の一本になったかのような気がすればいいかな。自分の立つ位置によって枕木の見え方が違ってくるし。
高熊
演劇の場合、アドリブを入れたり、公演ごとに趣きが随分変わりますよね。すると、舞台を見た経験って、人によって時間によって全く異なることになります。果たして、彼らは同一のものを見たと言えるのか。それでも、作品が作品として成り立つためには、散漫な印象をとりまとめる同一性の根拠が、どこかに担保される必要があります。
高山
別にある必要はないんじゃない?
高熊
そうすると会話もろくに成り立たなくなっちゃいますよ(笑)。
高山
そういう意味での会話は必要ない。根拠を求めるためのというのは…
高熊
もちろんそうなんですが、ただ…
高山
原則的に目の前にあるものが全てなわけだから。落ち葉が埋めつくしてる。雪が埋めつくしてる。雨が打ち付けてる。風邪が吹き付けてる。暑さが埋めつくしてる。それは全部違うわけ。
高熊
当然ね…
高山
臭う日と臭わない日があったりね。青空のときと雲がぽかんとひとつ真ん中にだけあったり。それは全然違うものですよ。作品をつくる時というのは、全部との関係のなかでやることなんです。刻々と違ってくるわけだから。10分だけ見る人と、朝見て昼間きて見てまた夕方見る人とでは、影の入り方でまた違って見えるはずだし。だから、見る人が主人公なわけですよ。作った者が主人公ではない。そこがみんな間違ってる。
高熊
言わんとなさることは、よく分かります。ただ、そう言ってしまうと、本当に見た人の好き勝手になっちゃいませんか。
高山
いや、ならないと思うよ。そこで、見た人の会話が生まれないといけないわけですよ。見た経験がみんな違うことがまず分かってくるとかさ。え、そう見えるの?とか。Aさんの見え方とBさんの見え方が、時間と状況によって違ったとして、お互いにそれを追体験し合ってみようとかね。それは、ひとつの山を見たって同じじゃん。一年中見てる人と、新幹線からしか見たことのない人とでは、全然違うじゃない。
高熊
ただ、それでも富士山でしょ?
高山
富士山だって毎日変わってるんだよ、形。
高熊
変ってるんだけども、でも富士山。
高山
それは概念的な意味でしかなくって、理屈にならないじゃない。
高熊
いや、概念というのとはちょっと違ってて…
高山
だって、一般共通の富士山が、こうだって意味しかないわけでしょ。
高熊
いや、もしそうだとしたら、もちろんそれぞれの…
高山
体験したことのない人にとっての富士山なんて、ただの絵面でしかないじゃない。
高熊
そうなっちゃいますよね。でも、一方で、体験だけに回収されちゃう富士山であれば、その存在じたいはいらなくなっちゃわけですよ。つまり、実在の富士山を度外視して、脳味噌に信号だけ送り続けるのと何ら変わらないことになる。
高山
いや、そういう意味じゃなくてさ。我々は常に何らかの形で、色んな方法で、あるイメージを個人ごとに作ってるわけでしょ。だから、イメージの形がひとつだというのは間違ってる。
高熊
そうそう、イメージは多様なわけですが、他方で、その多様なイメージを発生させる実在というものがない限り…
高山
意味が分かんない。
高熊
あれ、そうですか?
高山
だって実在として見てるわけじゃないもん。
高熊
でも、実在を想定しないと、各人各様の相対主義にしかならない…
高山
いや、そうじゃないと思うよ。実在として見てるわけじゃないでしょ?すべてイメージとしての富士山だからね。
高熊
とはいえ、富士山を見るとき、「あれは自分の印象でしかないな」とは見ないですよね?
高山
それは勝手だけどね。
高熊
え?「自分だけのイメージでしかない」って見てます?本当に?そしたら、このフォークを使うのに、自分のイメー
ジでしかないって思います?掴めると思いません?
高山
それは、フォークと思うから掴めるんであって、そのフォークというのは概要でしかないでしょ?正確なフォークじゃないでしょ。色んなフォークがあるじゃない?スプーンのついたフォークもあれば、二本だったり三本だったり四本だったりさ。ものによっては、我々は西洋人のように使い分けてないから、これは何だろうというのもあると思うよ。
高熊
例えば、僕の見てるフォークと高山さんが見てるのとではイメージは違うけど、このフォークについて語ってるということは共有できないわけですか?
高山
それは無理だろうな。
高熊
そうすると、話す意味が無くなりませんか?
高山
それはあまり関係ないんじゃないかな。ある程度、学習した上でなら意味は分かるよ。普通、僕らが言ってる富士山でも何でもいいんだけど、それはイメージでしかないでしょ。
高熊
語った内容はそうですよ。でも、そう語らしめるものを前提しない限り、語ることすらできない。
高山
でも、みんな見たことなくても語るじゃない?それって実在と関係ないじゃない?
高熊
そりゃそうですよ。だから、そうなっちゃいますよってことですよ。
高山
だから、それは普通のことじゃない?みんな見たことなくても語ってるよね。写真だけ見てね。それを実在だと間違えてるのと同じで、見たからといって、それが実在なわけではないんですよ。
高熊
当然そうなんですが、たぶん実在を、それこそ違うイメージで捉えていらっしゃると思うんですけど…
高山
哲学者も誰も、今まで実在というものを証明した人っていないよな。
高熊
だから、実証はできないんですよ。理念的にしか存在できなものを実在と呼んでるんであって…例えば、今ここに生きてるということに関して、これはイメージでしかないとなると、じゃ今すぐ腹かっさばいても問題ないことになりませんか?
高山
そこにすり替えるのはおかしいんだけど、別に死ねとも言ってないし。実在ってこと自体が、今を説明するために生まれた言葉であって、今って考え方が、どう変わるかによって、今はすでに今ではなくなる。繋がっていないイメージしかないんだっていう言い方は当然あるんだけどさ。
高熊
僕らが経験できるのは、確かにイメージでしかない。物自体はついに経験しえない。でも、物自体というものを想定しない限り、イメージについてすら語りえないんじゃないでしょうか。イメージだけであれば、取っ掛かりようがない…
高山
取っ掛かりというのは、フォークの何にとっかかるの?(フォークを指差しながら)
高熊
いま指差されたように…
高山
いや、僕は何にも指差してないよね。これはただ視覚的にここにあるよという程度だよね。
高熊
そうそう。
高山
これが、みんな思ってるフォークと僕の思ってるフォークが違ったら、全然違うじゃない。
高熊
そう。違いますよね。違うにも拘らず、このフォークだということをお互いに…
高山
僕が作ったものが、見た人全員にとって在ると言ったところで、見たということにはなりませんよね。みんな見てるものは違う。だから、それは在るかもしれないけど、見て見ないということがある。見えてないということが。
高熊
それはありますよね。
高山
ほとんど見てないわけですから。作品というのはそういうものだと思うんだけど。作品が何かを指示しているわけじゃないからね。
高熊
でも、作品がないと、見た見てないすら言えない。
高山
それはだから、ただ在るというだけですよ、
高熊
そう。まさにそうですよ。
高山
だから実在じゃないわけですよ。
高熊
いや、それこそ実在ですよ。それはイメージではないですよ。
高山
在るということも疑わなくちゃいけないんだから。
高熊
いや、疑うことは可能ですよ。むしろ、疑うことを可能にしてるものが実在なわけですよ。
高山
だから、それは何だっていいんですよ。そこに拘る必要は何もない。なんでそこに拘るのか意味がわからない。
高熊
そうすると、一応それは認めて頂けるわけですね。
高山
在るから在ると言うんでしょ。
高熊
そう。経験的にはトートロジーにしかなりませんよ、それは。
例えば、演劇では、公演ごと観客ごとに見え方が随分異なる。それにも拘らず、同じ演目について語り合える。それって実は、各観客に向けて様々にイメージをかき立てながら、同時に、そこには属さない、ある人称性を超えたものに対しても演じられているからではないかと思うんですよ。
高山
それは、だって、もともと人間に向かってやられてるわけじゃないんだから。
高熊
そう。神に向けられた奉物だったわけですよ。
高山
アートだってそうだったわけでね。そんなの当たり前じゃない。
高熊
そう。当たり前のことであって…
高山
なんか学生と話してるみたいだな(笑)。もっと大人の会話できないかなぁ。習いたての学生と話してるみたい。
高熊
それは恐縮です。すみません。
ただ、高山さんの作品についても、一過性とはいえ、俯瞰すると仰る際に触れているのは、そうした超越的なものなんじゃないでしょうか。人によって見え方は違えど、それにも拘らず、なにか普遍的なものが成り立っているのではないかと思うんです。
高山
何が本質的、普遍的なのかというの問題は、作る側と見る側で違うし、個人ごとに違うでしょ。人は、見るというか、中を徘徊することしかできないわけですよね。答えが見つかるわけではない。俯瞰しようが歩こうが、そのひと個人の経験でしかない。作品といったところで、どこが正面なのかというこも、僕の場合はなくなってるし、見る位置というのは、100人いれば100人違う。そこに共通性を見つけること自体が無意味というか、僕は必要としてない。もちろん、ひとつの考え方としてはあるのかもしれないけどね。
必要なのは、ただ枕木一本だけ。あとはどう広がっていこうが構わない。だから、作った造形物について、これだけずらしたらどうなるとか、それによって意味がどう変わるかというのは、当然考えるけど、じゃあ、それがどれほど作品のクオリティーに関係するかというと、僕にとってはそんなに重要ではない。だから、富士山だって毎日形を変えてるわけで、結局みんな持ってるのはイメージの富士山であると。あったところでイメージでしかない。日本なら日本のシンボル。外国人にとっては富士山と芸者ぐらいしか日本のイメージってないのかもしれないけど、そういう意味での富士山でしかない。それは実在とは関係ないんですよ。
高熊
それは関係ないですね。ただ、つい一過性というと、その場限りということになってしまって…
高山
空しすぎる?(笑)
高熊
そういうわけではなくて…
高山
あなたがどこへ収斂させたいのか分からないんだけど。
高熊
一過性と言っても、個別具体的な経験だけに収まらない契機があるんじゃないかと思ってるんです。
高山
作る側には、そうした各々の経験を貫くもうひとつの世界が浮かび上がればという思いもあるけど、それだって仮説でしかないわけです。
高熊
ええ、俯瞰というのが、おそらくそのことを言ってるんじゃないかと思ったんです。
高山
表現に色んなことを込めるのもいいですよ。それはそれでいいんだけど、でも、それは、ある意味で、生きることを納得させるための方便でしかないかもしれない(笑)。こういう仕事が、大事だと思うのはいいんだけど、でも、そこに至上主義はないんですよ。
高熊
神秘的な話をしてるわけではないですよ(笑)。超越的なものと言ったのは、高山さんが仰る俯瞰というものを、もうちょっとちゃんと理解したいと思ったからなんです。他の言い替えが出来ないかなと。説明が下手で、すみません。
高山
本当は、もっと作り方変えるとね…
これなんかは、そういうのを考えたエスキースだよね(オブジェを指差しながら)。この上にある形と下にある形を反転させて、その影が見えて…これは県美の会場にあったでしょ。ここに、ロダンの天使の像をあしらってます。天使の像を、なぜ僕が使うかというと、彫刻って重力に逆らえないでしょ。天使が作れないわけ。ロダンにとっては、天使が最後に作りたかったものなんですよね。デッサンでしか残してないんだけど。日本や東洋だと、天使みたいな存在って、みんな雲の上に乗っかってるじゃない。
高熊
ロダンが作りたかったのは、雲に乗ってるものではなかった…
高山
そう。雲に乗らずに、飛天のための道具をもってるんだよね。孫悟空でも空飛ぶときには、雲をヒューッて呼ぶでしょ。
彫刻って、重力に逆らえない。それなのに、天使を夢としてたというのが面白くってね。しかも、そうすると、逆にこう下の方にいるのをやりたくて(オブジェを指差しながら)。
高熊
高山さんご自身、天使的なものに、つまり重力から外れた存在にご興味があるんですか?
高山
そう。それから、日本の場合も、星が天蓋的に捉えられる一方で、月だとまだ行ったりできる空間として意識してたというのは不思議でしょ。
天使って、あの世とこの世の間の何?というか、神との間に在る世界ですよね。ちょっと興味があるよね。そういう人間の想像力に興味がある。天使に興味があるんじゃなくて、重力とか我々の日常的な世界から逸脱した世界を持ってるというね。
高熊
枕木も、雲に乗ってないというか、台座がないという意味では天使的ですよね(笑)。とはいえ、地面への親和性の方が大きい。そこは天使と反するところなんでしょうか。
高山
それとの関係なんだよね。
高熊
それそのものではなくて。
高山
地面がないと天使の意味もないからね。天使だけでは成り立たない。天と地があって、天使がいるわけだから。これ(オブジェを指差しながら)、もうちょっと表現する方法がないかと思ってるんだけどね(笑)。来年ぐらいになるかな。形を作っちゃうかどうしようかな(笑)。
高熊
形態を?
高山
そう、形態を作っちゃおうかなと思って。
高熊
新たな展開が(笑)。素材のイメージはあるんですか?
高山
まぁ、それも色んなのがあるんだけどね。
学生の頃、鼠捕りをよく描いてたんですね。それがオブジェにもなったり、パフォーマンスでもやりました。鼠を捕るために、部屋にたくさん置いといたんですよ、アトリエに。
高熊
なんで鼠捕りなんですか?(笑)
高山
いや、たくさんいるからさ。朝起きるといるんですよ、いつも。
そこで、鼠捕りを空に架けたら何がかかるかなと思ったんだよね。
高熊
ロマンチストですね。何が捕れました?(笑)
高山
日本の民話でも、鼠って色んな話の中に出てくるでしょ。ディズニーの一番のスターは鼠でしょ。鼠って小さい時からアイドルなんだよね。
高熊
トムとジェリーもそうですしね。猫のトムは悪者ですからね。小さなものを愛でるものなんですかね、人間て。
高山
どういうわけか、アブラムシはあんまりだけどね。
高熊
ごちゃごちゃしだすと、気持ち悪いですもんね。ゴキブリも。
高山
昨日から、オーウェルの『動物農場』読み直そうと思って買ってきたんだ。
高熊
思うところがあったんですか?
高山
というか、僕が活動し始めたころ「地下動物園」ってタイトルつけたでしょ。あれの背景にあるんですよ。
高熊
へー、そうだったんですか!
高山
昨日おとといと、千石(英世)さんという人と会ってたんだ。『白鯨』を訳してる、立教大の先生。
『白鯨』って日本でももう10人くらい訳してるでしょ。翻訳って、訳した人だけじゃなく、訳した時代や解釈もいろいろ関わってくるものだよね。
この間、新訳のドストエフスキーも読んでみたけど、ずいぶん違うものだったな。
高熊
「地下動物園」って上野動物園ではなかったんですね(笑)。当時なんかの記事で、誰だったか批評家が上野動物園から採ったのかって書いてた(笑)。
高山
周りの人は、そのくらいの認識だったんだね。枕木も、どこかから拾ってきたんだろうぐらいの(笑)。
昔は、エルンストとかコーネルが好きだったんだよね。
高熊
作品のタイトルといえば、新聞や雑誌にもお書きになってましたけど、作品そのものから導き出されるというより、先にタイトルがあるんですよね。タイトルからイメージが湧くことってよくあるんですか?
高山
いや、タイトルとイメージとはあんまり関係ないんです。
高熊
完全に切り離して考えている。
高山
そう。タイトルって、ただ、自分の中にある、原理的な考えでしかないんです。作品そのものの具体的なイメージとタイトルとは直接の関係はない。「スパイ」とか「記憶喪失」とかタイトル色々つけてますけど、多分みんな聞いてもほとんど分からないと思う(笑)
美術教育と日本文化
高山
当時から、みんな意識して美術やってたけど、僕はあんまり声高に「美術」とは言ってなかったし。
高熊
ご自身ではあまり意識してなかったんですか?
高山
うん。
高熊
そうすると何なんでしょう?
高山
学生のとき、現代美術展みたいなものを見に行くでしょ。で、その夜に見る夢のなかで、昼間に見た作品すべてにバッテンしてたもんね。違う違う違うって(笑)。今でも、あー違う違う違うって(笑)。
高熊
すると、逆に「美術とはかくあるべし」というものがあるわけですか?
高山
いや、それもない。違うと思うのは、こういう意味で美術をやってるんだって分かっちゃうからなんです。
高熊
分かるようでは美術ではないと。
高山
とくに今キュレイターが仕組むでしょ。キュレイターが何を考えてるか先に知ってると余計まずいよね。然るべき文脈の中でセットされてしまう。プロデューサーなり、キュレイターのイメージに囲われちゃうのね、日本の場合。
高熊
スポイルされちゃう。
高山
日本の批評家って、詩人崩れの翻訳家でしょ。翻訳文化ですから。だから、世界には通じないのよ。日本の批評って、向こうに翻訳されないのよね。
それで、東野芳明が言い始めたわけ。批評を育てなくちゃいけないって。それが、やがて教育の中の「鑑賞」になったわけね。日本では、図画工作美術を教えても、見ることの訓練は全然やってない。体系的なものの見方が出来てないものだから、つい解説書みたいなものを読んで、分かった気になる。それでは、何も育たないじゃない。それで鑑賞教育って始まったわけだけど、でも、いまだにもう無惨な有様。
高熊
鑑賞教育を広めた方が美術の人口ってより増えますしね。
高山
しかも、日本の場合、権威で見せようとするからよくないよね。
こないだ、中国から来てる、うちの学生が本を読んでて、そのタイトルが『中国美術精神史』だったのね、日本語にはどう訳すんだろうな。
高熊
「精神史」というのは理論史みたいな意味なんでしょうか?
高山
そう。神仙思想とかが、同時代に応じて、水墨画や南画に反映したり、どう展開されてきたかを研究してる人の本なんです。いっぽう、日本にはそういう本はないなと思ってさ。
高熊
そうですね、日本固有のとなると。近代でぶつっと切れていきなり始まりますしね。
高山
近代美術だとしても、精神史となるとね。ただ表面的に何があったかということだけだから。
高熊
離合集散した歴史でしかないですもんね。
高山
だから、そういう意味でも、日本は勉強しないとすぐダメになっちゃうな(笑)。
高熊
いま、留学生も労働者も一杯入ってきてますからね、中国から。仙台も多いですし。
高山
中国は浅いけどね。裸婦画とデュシャンと一緒に入ってきちゃったからさ。明治維新と戦後美術が一緒に入ってきたようなもんだよ。
高熊
日本より過激な状態。安井曾太郎にあたるような人もいなそうですもんね。
高山
僕らの大学時代の同級生に、いい悪いの問題じゃなくて、幸か不幸か、公募展で非常に生活が豊かになっちゃった人もいるんですよね。でも、現代美術ってまだ市民権をきちんと持ってないからね。
外国の作品は、何億とか、ものすごい値段で買うでしょ。日本の作家で何億で売れる人なんていないんだから。村上隆が外で売れるぐらいでね。でも、俺、あんなの全然分かんないもん。しかし、あれしかないというかね。ただ、外国で見ると恥ずかしい感じがするんだよね。向こうのキュレイターなんかと話すと、日本的だって喜ぶ人もいるにはいるけど、芸術以前なんて言う人もいるし、じつは色んな批評があるんですよ。日本からすると、向こうの現象が凄いことになってるけど、そんなのほんのちょびっとした現象でしかない。
日本ってそうなっちゃうんだよな。逆に、向こうの作家でもいい作家はたくさんいるんだけど、日本ではほとんど紹介されてないでしょ。紹介する人がいないんだよね。
高熊
紹介できたとしても、それを受容する用意がない。
高山
世界には、もっと色んなものがあって、色んな動きがあるのに、日本は、そういうものに対して全然目を向けないからね。新奇なものや流行ばかり追いかけますよね。今後、その辺が変わるのかどうか。いまの20代の若い作家たちが気がつくかどうかにかかってるんだけどな。
高熊
高山さんは、その渦中の、まさにど真ん中にいらっしゃるわけですが(笑)。
高山
うん。芸大の先端(芸術表現科)にいるわけだけど、でも、やっぱり一人だけですよ。
高熊
何かこう作戦というか、どういうアプローチでこいつらをどうにかしてやろうというのはありますか?
高山
何人かは分かるというか、感じる素質のある人がいるんだけど。ただ、今は何でもありだから…
これ見た?(「展覧会『新しい美術の系譜』国立国際美術館の名作」のチラシを見ながら)今やってる県美の展覧会。ロスコの初期のやつとか、エルンストの有名なフロッタージュとか。色んな図版で見かけるような代物が見られる。
高熊
和田(浩一)さんは「教科書的」なんて自嘲してましたけど、個別の作品はやっぱり面白いですよね。今回来てる作品の中で気になった作品はありましたか?
高山
僕はやっぱりエルンストね。好きだから。ロスコの若いときの絵も好き。モーリス・ルイスは、もっともう少し大きいとよかったけどね。セザンヌは、ちょっと中途半端だったね。
高熊
ああいうのって和田さんが選ぶというよりは、向こうの美術館が…
高山
たぶん和田君が選ぶんじゃないかな。美術館としては、当然、これは見せてほしいというのはあるんだろうけど。
大阪の国立国際美術館って、常設展がないんですよ。企画の一環では、コレクション展みたいなものはあるんだろうけど、企画展と常設展を並行してないんだよね。だから、何を所蔵してるのかずっと分からなかったんだ。カタログだけ見てて。だから今回初めて実際に見れたんだよね。でも、意外に京都近代美術館から来てるものもあったね。
高熊
六本木にできたところというのはコレクションを持たないんですよね。
高山
うん、あそこはコレクションなし。
高熊
東京にある国立美術館で所蔵するところというと、西洋美術館かな。
高山
うん、西洋美術館、それから富士美術館とか。富士美術館はまだ行ったことないけど。
県美の展示で、こっちであんまり見れないのというと、サイ・トゥオンブリーがあったよね。アメリカで見たときは凄くよかったなぁ。トゥオンブリーのコーナーがあって、「えー、こんなにいいのー」ってびっくりしちゃった。日本でも、やっぱりいいものを見てないと、分かんないよなぁ。やっぱ本物を見ないとなかなか。
高熊
ああいうのが常設してあると、いい勉強になるんですけどね。そういえば、中西夏之さんのコンパクトオブジェもありましたね。
高山
そう。昔のね。僕ら学生のとき見たやつ。
僕は、小学校に入る前から、上野に通ってたから、いわゆる読売アンパンから何から、戦後まもなくの展覧会、国立博物館でやったピカソ展、マチス展、ルオー展、それに、ルーヴル展も見たし、戦後まもなくすぐね。だから、目上の人と話してると、「何でそんなによく知ってるの?」って訊かれるぐらい(笑)。見て知ってるんだよね。本で知ってるのと、見て知ってるのとでは全然違うからね。
高熊
読売アンデパンダン展とか、毎年見に行かれてたんですか?
高山
そう。春秋は必ず上野を歩くことになってたから。公募展の日展や院展から、独立.モダンアート、何でもほとんど見てた。
高熊
全部、連れられてゆくんですか?
高山
そう。高校のときなんか分かるまで見ようとした。セザンヌは、十何回めかでようやく少し見えてきた。セザンヌの絵が見えてきたら、日常の世界の見え方まで変わってくるんだよな。だから、絵って、見え方の訓練になるね。本で見え方を学ぶのと同じでさ。セザンヌなら、セザンヌの空間とは何かってね。ルドンとどう違うとかね。そういうのが分かってくる。そうすると、セザンヌの見た世界とはこうだったかと、そのとおり現実の世界が見えてくるんですよ。
誰かの本を読んでたときに、奥行きというのは背後だって言葉があったんですよ。奥行きというと、みんな前方ばっかり見るでしょ。デッサンすると、対象に対する地平線や壁が奥行きだと思ってるでしょ、この点、日本人は全然駄目だよね。でも、人間が見てる奥行きというのは、自分のバックボーンだということが分かった瞬間、突然対象の見え方が変わってくる。
例えば、対象までの距離。これを描く日本人っていないんですよ。ジャコメッティが読まれない理由もそこにあるよね。ジャコメッティは、ここまでの(対象と観者の)距離を作ろうとしたでしょ。彼の言葉に、屋上から人を見ると重力が消えるってあるんだけど、彼はそれを距離として表現する。すると、あんなふうに細くなってゆくわけだ。量感ではなくなっちゃう。彼もセザニアンだから、若いころセザンヌみたいな絵も描いてたんだよね。下手糞だけど。そういえば、肖像画を描くときとか、彼は枠を作るでしょ。あれは、新約的にはちょっと別な意味があるらしいよ。
話を戻すと、セザンヌは空にまで距離をつけちゃった。空も距離として、位置として見た。自分から向かって行ってぶつかる。空にぶつかって、戻ってくることを距離と言った。自分から繋がっているわけだ。距離というのは、自分のバックボーンだ、後ろに生まれるんだというわけ。そういうのって、日本人にはなかなか理解しにくいみたいね。
いま若い人がセザンヌの絵を見ても、タッチしか分からないって言うの。様式とか形式しか見ないから。その様式さえ、何故プレパレーションするのかは分からない。だから、見ることの出来る人っていないんじゃないかと思うよね。
あと、アメリカ行った時に、「こんなにセザンヌがあるんだ!」ってビックリした。代表作はみんなアメリカにあるもんな。最後の大水浴図もあるし。それがまたいいのよ。お金があっただけじゃなくて、見る目があった。アメリカにあれだけのセザンヌがあって、そんなにセザンヌが好きだったら、セザンヌ風の絵があるかと思うと、それが全然ない。生まないんだよ。日本だったら、セザンヌ風になっちゃうだろ?そうじゃなくて、セザンヌを今度どういうふうに理解してゆくかという論争が起きるんだけど、セザンヌらしい絵はないんだよ、不思議だよね。
それで、日本の近代の黎明期の有名な絵描きの絵と、お手本になった絵とを並べる展覧会があったんだけどね…
高熊
いじめみたい(笑)。
高山
いまの現代美術も、日本と外国の作品を並べたら、面白いかもしれない(笑)。
そういえば、むかし西洋人が日本の美術館を訪れて、「どこに芸術があるんだ?」って言ったらしいよね(笑)。自分たちの故郷に行けば、セザンヌやらゴッホ、フォヴィズムもキュビズムも構成主義も全部あるわけじゃない。それと似たような絵があるだけでしょ。だから、「日本の芸術はどこにあるんだ?」って。物真似を見に来たんじゃないってね。
高熊
先に出た3Dの話じゃないですけど、セザンヌの絵って、奥に引っ込むというよりも、こっちの知覚を直接ぞわぞわさせるようなところがありますよね。例えば、傾きだったり、樹木が盛り上がる感じだったり、こっちの身体に働きかけてくる。身体が動かされる感じがある。
高山
彼は、3D的に描いてるんですよ。
高熊
ええ。タッチで視差を作りながら、キャンバス上ではなく、こっちの身体の方で感覚を実現させる。
高山
それを背後と言うんですよ。
高熊
あの感覚って、3Dが作りだす、反射みたいな生理的な反応ではないですよね。むしろ、記憶や想像力に関わっていて、もっと深みがある。3Dもセザンヌも同じように身体に働きかけますが、随分異なってる気がします。
高山
だって、彼は無情でやってるからね。じつは平面は平面でしかないということ。それと、伝統的な三次元風の技法。彼はこの狭間に入っちゃったわけ。その狭間で、彼は悩み続ける。三次元を二次元化するだけでなく、伝統的な奥行きをどう解決するか。そこで、背後の問題が生まれたわけだ。だから、彼は、未完成ということになるわけだけど。
高熊
見たという完結感がないですよね。セザンヌの画面って、常に動いてるから。直接こっちの身体に運動をもよおさせるから、終わらない。だから、意識的に視線を画面から外さないと、次の絵を見れない。
高山
視点が違うものやずれたものを同時に描こうとしたわけね。これは、ピカソ風に解決する方法もあるでしょ。徹底的に、ガラスの破片みたいにして。でも、セザンヌは、その手前で、色んな時間なり、対象の見え方の違うものを作り直そうとする。だから、ぐらぐらしちゃう。でも、ぐらぐらしながら、もっとも古典的なプッサンのようにがっしり描かなくちゃいけない、彼はそう言うわけ。安定しなくちゃいけない。矛盾してるんですよね。
プッサンの絵を見ると、やっぱりある部分はセザンヌそっくりだよ。僕は、セザンヌを知る前から、プッサンの絵が好きだったのよ。それが、セザンヌを知ると「プッサンに戻れ」って言うもんだから、えーって吃驚してさ。ただ、日本ではプッサンは見ることができないんだよね。だから、印刷だけで見てた。パリに行ったとき、プッサンを見れて嬉しかったよね。
僕が一番最初に模写してた画集は、ボッシュだった。その当時厚いボッシュの本が出たんでね。あと、色んな外国からの展覧会で、ボッシュの絵が何点が来たんだよ。そのとき吃驚したんだ。「こんな美しい調子が使えるとは知らなかった」って。
日本でヴァルールが使える作家って、ほとんどいないんじゃないかな。現代美術なんて、ヴァルールがない絵描きばっかりだし、出鱈目ですよね。とくに当時の日本では、まだヴァルールの意味が分かってる人はいなかったんじゃないかな。いわゆる白黒の諧調のなかでの、調子っていう意味でしか理解されてなかったと思う。やがて、色価って、新しい訳が出来た。相対的な価値っていう意味でね。だけど、今それも消えちゃって、戻っちゃってるんですよ。
だから、色彩といったところで…例えば、ジェームズ・タレルの仕事だって、色彩原理からすれば、基本的なことなんですよ。表面色、つまりサーフェスカラーとボリュームカラー、それからフィルムカラーの3つがある。色彩学では、バウハウスなんかでも、それは基本概念なんだけどね。日本では、教える人が誰もいない。教えられる人がいない。表面色には、こうカットしてそのフレームから覗くと位置が消えるという原理があるんです。タレルはこれを利用した。空の色の位置をなくす。ペタッとくっついたようでもあるし、どこにあるか位置が消えちゃう。だから、画廊の中で、色だけこっちから出しておくと、入った瞬間、自分がどこにいるのか分からなくなる。色の位置が無くなっちゃう。それだけのお仕事なんですよ。宇宙を、全部サーフェスカラーとして利用した。ボリュームカラーだと、モネなんか原理を分かってた。フィルムカラーは、透明な色が重なって見える色ね。
そういう原理的なことは、バウハウスの本に書いてあるんだけど、日本ではどういうわけかやらないんだよね。どちらかというと、光の色彩学の先生の方が、一応原理としては分かってる。だけど、それが何を表現することになるかは、分かってない。解説書はあるんだけど、美術に繋がってない。フィルムカラー、サーフェスカラー、ボリュームカラー。これらがどういう原理なのか、絵や美術のなかでどういう役目を果たしてきたか、そういうことを書く人はいないなぁ。見たことがない。
とくに日本の場合は、顔料が透明水彩ではなく、不透明でしょ。日本画の絵具じたいが、上に乗っけたその色しか出てこないでしょ。透明水彩って、イギリスとかそういうところから入ってきたわけで、下の色が重なって見える構造は、日本の顔料ではできない。
でも、それを逆に、ある色は裏から描いて、その上に表から色をつけると、紙を通して出てくる色を効果的に使うことが出来る。それをやってるのが、棟方志功。彼は、凄いモダニストね。ゲシュタルトをちゃんと分かってる。吃驚した。これは、世界が見てすぐ分かるよ。何を描いてるか以前に、原理的な絵画構造がある。日本画ではできない世界。裏から色を出したり、表につけるのと、中間につける色と、三層でつくる。
油絵具でも、普通に絵を描くと、透明にはならなくて、ただ直に塗り重なるだけ。透明性を使い分けられるのって、向こう行った人じゃないと分からなかったわけ。日本では、油絵具って、下の絵を消せるという意味だったんだから(笑)。下地が一番大事で、それに層を重ねてゆくことで絵ができる。そんな原理的なことも習ってないわけだから。明治以降に日本が輸入したのは、印象派からでしょ。絵具を直接ベタベタ塗るわけ。フランドル技法もヴェネチアン技法も分からないよね。それから、陰影法といっても、実際、陰と影を見極められる人ってなかなかいないですよ。例えば、江戸時代に、出島をとおして『解体新書』が入ってくるでしょ。それを日本人が模写してるわけ。そうすると、陰影が全部消えてるの。線だけになってる。見てるのに描けない。たぶん脳の問題なんですよ。今だって、見て描きなさいと言ったって、あっちの人は太陽を黄色く描くけど、日本人は赤く描いちゃう。これって、あなたが言う「実在」になる?
高熊
まぁ、蒸し返すつもりはないのであまり言いませんが(笑)、赤でも黄色でも、人や文化によって見え方に違いをもたらすものこそが実在なわけです。
高山
昼間の太陽が赤いだなんて誰が言った?そういうもんなんだよ。今までの歴史がずっとそうやって作られてきてるからね。その方が管理しやすかったんでしょ。ゴッホの絵を見て吃驚する人でも、その絵に描いてある太陽が赤くないのに、ちっとも不思議に思わないのがまた不思議だよね。
宮城教育大学(以下:宮教)で、シュタイナー教育をやってるドイツの先生を呼んだら、普通に観察して描く写生を認めないんですよ。写生は理科の勉強でしかない。はたして、日本人がそこまで飛躍できるかどうかはかなり難しい。で、何をするかというと、透明画法っていうものを実践するの。紙に水絵具で描いて、水で洗うの、それにまた水で色をかける。で、また洗う。そうすると、層が重なって、色んな模様めいたものが浮かんでくるでしょ。そこに何かを読みとって形にしてゆく。簡単に言うと、シュタイナーって、クレーやカンディンスキー、モンドリアンの元祖みたいな人なんだよね。
僕にとっては、シュタイナーって面白い人だったからよかったんだけど、やっぱ日本人には難しいと思った。すぐには理解できない。僕らが全然考えたことのない世界でしょ。色は霊を表すって書いてあるしね(笑)。翻訳がまずいんだとは思うんだけどさ。シュタイナーの色彩論ってあるでしょ。ゲーテを読んでから、それを読むと繋がりが分かるけど、日本はその辺全然ダメね。どっちかというと心理学に行っちゃうんだよな。統計とり始めちゃうからね。数値でグラフ化された世界で、ものを見るから。
そうそう、それ以前にも、オイリュトミーは随分見てたんだ。下半身がなくて上半身だけで踊るおどりだから、あまり認めてなかったけどね。でも、シュタイナーを知って、随分色んなこと考えさせられた。
シュタイナーでなくても、宗教も含めて、世界観みたいなものって、日本人は相当馬鹿だと思う。空間にならない。色んな庭を見ても、いまいちだもんね。浄土庭園の方はちょっと興味があって見てるけど。いっぽう韓国や中国の方が、え!?っていうのがあるよ。
僕が小さいとき、よく哲学堂で遊んだんだ。キリストがいなくて、孔子、ソクラテス、釈迦、カントが祀られてる。幽霊の門を入ると、空間が広がっていて、いわゆる死後の世界として、庭が作られている。塔があって、三途の川もあって、川を渡ると梅の花や林があって、なかなか面白いですよ。いわゆる宇宙図を大きな公園として作ってるわけ。そこをずっと徘徊して遊んでましたね。だから、それは今の造形の世界と繋がってると思う。
世界観の公園というのかな。発想がいいよね。そういう経験を、日本人はほとんどしてないはずですよ。それに、日本の神話も知らないし。『古事記』や『日本書紀』すら読んでないんだから。学生なんて、ろくすっぽ話にならない。漫画しか経験してない。それが彼らの実体験と言われれば、あ、そうってそれ以上は突っ込まない。だって、どう仕様もないもん。ちっちゃな情報の中で生きてるんだよな。情報を疑うこともしないし、ちょっと耳に入っただけで知ったつもりになる。学生と話してても、酷い情報で生きてるからね。美術だって、ちょっとした情報だけで生きちゃってるから、もう情けない。流行とか、テレビ映ったとか、その程度だからね。中身分かってるかどうかなんて関係ない。宿命なのかなぁ、日本の…
仙台の風景も変わってきたよなぁ。周辺の山の形が変形してきてる。砂利を採ったり、新しい家を作るために壊しちゃったりね。仙台の人は怒らないからなぁ。原風景が壊れてるのに、誰も一言も物申さないというのは、何かね。
高熊
気づかなかった。
高山
やっぱり慣れちゃうからね、人間の眼って。いま学生と話してても、日本の国自体が異文化だもんね。日本という国が全然見えなくなっちゃったから。
高熊
彼らはどこに住んでるんでしょう?
高山
やっぱりディズニーに育ってさ(笑)
高熊
夢の国に住んでるんですね(笑)。
高山
王子さまかお姫さまに、冠だったりさ。ヨーロッパやアメリカのブランドに憧れて、たまに浴衣を着て日本人だと思ってるくらいだからさ。
高熊
それでも、優秀な方が集まる先端ですからね。論文書いて入るんでしょうし。
高山
最悪ですよ。ドクターで辛うじてまだ少しマシなのがいるけど。だから、入った人が可哀想よ。コンプレックスばっかり持っちゃうから。腕がない、技がない。
高熊
専門の拠り所がないから、本当に勉強しないと駄目ですものね。しかも、自分で勉強するにもやり方が決まってるわけじゃないから…
高山
いまの院生で、青野君が大学院で書いたレポートぐらいのものを書けるのなんていないよ。みんな、インターネットで調べて書いちゃうんだよね。嘘が多いのにさ。調べてもいいんだけど、検証しないのね。検証するという方法も知らないし。絵を見ても何でもそうなんだけど、検証するということ、まず疑う作業をしない。だから、読んでると面白いよ。論理がだんだん矛盾だらけになってくるの。でも、それに気づかない。平気で写してるからさ。口頭で質問すると答えられないんだよね。最後にはそう書いてあったと言うんだよ。
よその文化を自分の言語に置き換えて、自分のことばで再構成するというのは、江戸時代の方がまだ優れてたと思うよ。鎖国という原理があったから、逆に外国のことについてきちんと調べてるよね。幕末に、ドイツが日本と交渉しに来たとき、そこに立ち会った日本人が、ドイツ語で喋ってたそうだ。オランダ語も含め、ドイツ語も喋ってたというのさ。幕府内では、きちんと向こうの分析をやってたんだよね。しかも、向こうから来た人の三代前までは分かってたそうだよ。どんな家柄で、どういう系図の中で、どういうお爺さんがいてどういう親戚がいるかということを全部分かって話してた。だから、向こうが吃驚してたって(笑)。情報というのは、こっちに意図がない限り、調べたことにはなんないんだよね。何かこうペラペラ調べてたって仕様がない。
ところで、あなた(青野)のとこで教えてる高校生でも、美術方面に興味のある人っているの?
青野
いくらかは。でも、美術と漫画なんかを混同してますけど。夜間学校にも行ってるんですが、こちらの方が、美術方面に興味のある人は、率的には多いかもしれません。
高山
いま昼間だと、進学校か。
青野
僕が行ってるのは実業高校ですからね。工業高校だから、ある意味でいうと、反対の世界ですね。
高山
宮城野の芸術高校は?
青野
ないんですよね。
高山
青野みたいの、非常勤で呼びたくないかなぁ。呼べばいいのにな。
僕が見に行ったときは、受験校化してたな。
青野
美術では、宮城野のウェイトが高くなっちゃってますよね。本当はもっとちゃんとやらないといけないのに、行政側が、ああいう学校を作ったんだから一応考えてるんだぞという言い訳になっちゃってる。
高山
行政側というか、校長レベルの美術感覚というかね。美術といったところで、河北展だから。
青野
卒業展とかやってますよね、宮城野の。
高山
前はちらちらと見たけど。
青野
専門学校みたいなんですよね。デザイン系のプレゼンテーションばっかり教えてるような。高校でああいうのをやって、でも、別にみんなすぐ就職するわけでもなく、美術をやる人は美大を受ける。
高山
宮城野のレベルでも、普通科の方はまだマシなんだよ。専門になると、いわゆる狭いところの専門性で、頭が悪いとなると余計タチが悪いんだよね。
青野
自由にさせてるから、その分、生徒はその気になって勘違いしてしまう。
高山
宮教時代、美術やりたい子がいるって、先生がときどき相談に来たんだ。でも、例えば、何とか私学に入ったとしても、悩むらしいんだよ。子どもがノイローゼになったりして、親がもうパニックになっちゃて。作品を見たときは面白い子だなと思ったんだけど、親が子どもとの距離を保てなくなってるんだよ。親がおたおたしちゃう。うちの学校でもそう。いま大学でも父兄相談するんだよ。親が来ると、あぁ駄目だって分かるもんね。親にしてこの子ありでさ。芸大に入ったって駄目ですよって(笑)。学生も、経済的に安いから来るっていうのは分からないわけではないんだけど…
東北というか、仙台の人って、秋田青森山形岩手が分からないよね。仙台の人は駄目だよ、そういうところ。東京は斜に見るし、東北は馬鹿にしちゃう。仙台は薄っぺらい。だから、宮教にいるとき、俺、東北旅行に変えてやったんだよ。こっちは、街の人、東北自体が自分たちの文化を大事にしないから、もう朽ち果ててるんですよ。価値が分からないわけ。がっくりしたね。自分たちの文化を見る力がない。
だから、岡本太郎と同じよ。彼がフランスから帰ってきて、日本文化について話してもらったら、縄文だって言うからみんなガクッとしたわけよ。それまで縄文なんて、美術館にはなかったんだから。博物館の隅っこで埃を冠ってたんだから。日本の人たちは、洋行帰りの彼なら、やっぱり京都奈良の文化を素晴らしいと言ってくれると思ってたから、え?縄文って何ですか?みたいになっちゃった(笑)。それでも、文化財にしても、やっぱり京都奈良中心で、東北なんか全然相手にしない。最近は少し見るようになってきたかな。でも、扱いは酷いもんですけどね。
高熊
縄文は見るようになったけど、その後は蝦夷の発掘に予算が下りない。発掘できないから何も出てこないのか、それとも本当にないのか、よく分からないという感じらしいですよね(笑)。
高山
それは仕様がない。だけど、仙台って、色んなもの見ても全部江戸の物真似みたいなものしか残ってないでしょ。酷い文化よね。瓦ひとつとっても何を見ても。でも、政宗がお城を作ったから、東北大が出来たんだよね。
こっち来てすぐかな。オシラサマ、ちょっと面白かったから歩いて見たね。来てすぐ調べてさ。非常に不思議な世界。黒人彫刻を思わせるようなさ。調べるために、初めて多賀城の歴史博物館に行ったんだ。それから江戸時代の絵師を調べるのに、仙台にある福島美術館に行って。でも、美術の先生に聞いたら、知らないんだもんな。それも吃驚しちゃた。この街はどうなってるんだってさ(笑)。なんていうのかな、地元とそういうものがちゃんと繋がってないでしょ。東北大で美術史をやった人は、東北の美術をどのくらい知ってるか知らないけどさ。
僕が聞いた話にこんなのがあるんだ。朝鮮戦争中に、仙台に来たアメリカ兵が、古道具屋である仏像を見つけた。そこで、東北大の先生に、それがどんなものなのか聞きにいったわけ。そしたら、大したもんじゃないと言われた。でも、彼は、素人ながら自分が好きなものだからって買って帰ったんだよ。そしたら、それが今や、メトロポリタンの日本館の目玉ですよ(笑)。まぁ、それはね、推測でしかないけど、買わせないために「大したことないよ」って言ったのか、本当に分からなかったのかは分からないよ。ただ、そもそも仏像に価値をつけたのは、やっぱり外国人だしね。フェノロサがいなけりゃ、日本人自身には何の価値があるんだか分かんなかったわけだよ。浮世絵だってそう。今の週刊誌みたいなもので、梱包材に使ってたわけだからね。それを広げてみて、吃驚されたんだから。浮世絵の版木だって、みんなアメリカ兵が持ってっちゃったし。全然残ってないんだから。版木で、みんな釜を焚いてたわけだから。自分たちで自分たちの価値が分からない。だから西洋しか価値がない。向こうのことを少しでも知ってたら、偉くなってるつもりだから。だけど、それの逆を考えてみると面白いのよ。明治時代って、大学を出っ放しの若い連中が、日本を改革しようっていうんでしょ。いま大学卒業したくらいの連中が外へ出ていって何かできる?
高熊
明治維新で、文化関係に行った人たちってみんな負けた人たちなんですよねぇ、芸大も含め(笑)。
高山
でも、どうしてこうなっちゃったんだろうね。今の若い人たちはこれからどうすんの?
高熊
就職ができない世代が10年ぐらい続いちゃいましたからね、可哀想といえば可哀想。
高山
うちの学生もそうだよ。就職したいとは言うけど、呑気だよね。なんで勉強しないのかなぁ。人にはない自分を作らないもんね。これは負けないぞとか、どこで闘っても自分であるものはあるとか、そういう気概がない。ドングリの背比べみたいに、あの人よりは私マシかなぐらいの感覚でいるんだよね。そういう何ともいいようのない、自己満足の仕方。情けないと思う。まず根本的に何がないのかを、自分に問いかけないというのは凄いね。自分に何がないのか。自分が生きるために何をしたらいいのか。これをやりたいのであれば何をするべきか。そういう問いが一切ない。
アメリカの若い学生なんかは、就職して面白くなければ辞めて、もう一回学校に入り直したりするんだよ。いつでも勉強し直すのは平気だからね。銀行の窓口をやってたやつが、絵を見てるうちに、キュレイターをやってみたいと思って美術の学校に入り直したりね。そこで、徹夜で本を読んできたり。そういうのが当り前。エネルギーが凄い。日本は大学に入るのが精一杯でしょ。大学に入ったら遊ぶことばっかり。まぁ、日本は駄目だね。それは、フランスへ行ってもそうだし、韓国へ行ってもそう。
山内(宏泰)は、ああいうのが育つのは珍しいよ。あなた(青野)とか健ちゃん(佐々木)とか、面白いの何人かいたんだけどね。いま残ってるのは、そういうちょっと変った人だもんな。変ったというか、なんか分かんないながらも、屯ってた人たちが、今でもそれなりによくやってるもんな。
山内は回転が早いからね。それに手足がよく動く。何に対しても、今回もボタニカルの展覧会をやってたんだよね。植物画でも集め方が面白かった。装飾ボタニカルになるのや、いわゆる理系用のボタニカル、それから本当にだらしなく装飾の装飾になっちゃうの。それらがどこで嘘になってゆくかのかとか。日本の教育の中で、ボタニカルがどういうふうに変化してきたのかとか。色んな視点を、こう複合的にやるというのはなかなかだよね。よくこんな資料を集めたよな。あるとき何気なくそれを見てて、いつか使えると思って取っておいてるんだろうね。能力あるよ、あいつ。逆に、東京辺りでボタニカル展をやっても、ファンを喜ばせるだけだもの。あれだけちゃんと色んな視点を複合的に指摘しながら展示するのは凄いよ。あの美術館には勿体ないくらい。人は来ないらしいし。だから、見てくれる人がいない、分かる人がいないって、残念がってた。
同じような絵を見ても、ただ見るだけで終わっちゃう人もいるだろうし、ボタニカルで自分の好きな絵柄を探すだけで終わっちゃう人もいる。だけど、それをどう組み合わせるか、それによって何が見えてくるかが肝心なんだよね。だから、学生にも、美術館へ行ったら、その美術館は何をやろうとしてるのか、この展覧会はどう演出されてるのか、キュレイターは何を並べようとしてるのか、全部読んでこいと言うんだけど、読めるやつはいないよね。読もうとしないから、読めないだけの話なんだけど。面倒臭いんだろうね。結局、自分の気に入ったものだけを見てくる。あれが好きだった、これが好みだったって。まぁ、それもいいんだけど、その専門家になりたいの?って。
どのくらいの現場の先生が、どの程度のことやってるか知らないけど、いま講師が多くなってるんでしょ?
高熊
美術は半分以上講師で、しかも中学校はみんな講師枠になってきてますね。東北学院も、選択になったので、なくなったんですよ。
高山
この間も、教育委員長の前でこんな話をしてきたんだよ。西洋では、科学と芸術というのは、人間を考えるときの二本柱なんだけど、ところが、日本ではどういうわけか、科学というか効率科学はあっても、基礎化学や基礎物理はどんどん無くなってゆくし、美術だって隅っこに追いやられて、好きな人だけやってればいいという風潮になってる。これでは、日本はただ滅びるだけですよ。滅びるように仕向けてるのは教育委員会ですよって(笑)。さらに、それを周りが怒らないのは、日本人自身が自分たちで滅びてもいいと認めてるということでしょ。そこに希望があるんですか?って。
高熊
返事はどうでした?
高山
黙ってた。だって、自分さえよければいいんだもん、黙るしかないでしょ。日本全体が沈んでゆくなか、自分だけが助かっていたい。そのためのエネルギーしかないんだから。他人が沈むのは構わない、自分だけがそれよりも浮いていたいわけよ。人間性なんて、もはやないと思っていいでしょうね、例えば、ちょっとでも変なことをすると、矢継早に叩くでしょ。ヒステリックな社会現象。あんなの放っとけばいいんですよ。普通に処罰しておけばいいのに、新聞や週刊誌、マスコミが叩いて、テレビがワイワイ騒いでさ。自分だけが少しでも善人であるかのように思いなすというか、自分は正しいんだという。卑劣な社会ですよね。でも、社会そのものが卑劣になってることに気づかない。
だけど、僕らが知ってる限りでは、日本なんて国は、何の責任も持たない国家だからさ。誰が死のうがそんなの関係ないんだよ。終戦末期になると兵隊が先に逃げちゃうんだから。自分たちだけ帰国して、子どもはみんな中国に残してきたわけでしょ。それなのに、孤児たちが日本に戻れるかもしれないとなると、当の親は、知らないふりをする。日本のなかでどれだけの親が、知らないふりをしてることか。東北には多いんですよ。向こうに残してきたなんて、兄弟にも誰にも言えないわけよ。そうして、残留孤児にも拘らず、戻って来れない人がたくさんいる。自分たちが逃げるときには、食わせられないからとか病気になるからって置いてきといて、その孤児がいざ身寄りを訪ねてきたら、今度は知らんぷり。いま来られても、親たちにとっては面倒臭いわけだよ。自分の生活を壊されちゃう。誰も責任をとろうとしない。でも、最近少しずつ打ち明けられ始めてるよな、人肉を食った話とか。なかには、70歳までは喋らないと決めてたのが、生きちゃったものだから、やっぱり言わざるをえなくなってしまった人もいるらしい。僕の知人にも、自分のやってきたことで、今さら人に語れないからって、毎日うなされてる人もいるのよ。日本人って責任とる人がいないんだ。政府もそうだし、庶民もそう。
美術もそう。作る側の責任もあるけど、見る責任ってのもあるのが分からない人が多い。批評がないというのはそういうことですよ。見る責任がないから、単なる解説になっちゃう。それは、責任ではないよね。好き嫌いでもいいんだけど、ちゃんと責任を持って好きなら好きと言えばいいんだよ。嫌いならなぜ嫌いかを言えばいい。そうして、好きな人と嫌いな人とどう違うか。その違いが、ずれてもいいからちゃんと見えるようになればいいんだけど、そういうことも起きない。ヨーロッパであれば、ある展覧会があると、展覧会そのものを批判すべく、同じ作家を使って、別な人が別の展覧会を企画するからね。自分はこう見てる。だから、組み立て方を変えた展覧会をやる。ちゃんと批評するわけ。あるいは、自分は、ある時代の作家の批評はするけど、他の時代についてはしないっていう人もいる。ある問題についてなら責任を取れるけど、他の問題については取れないからしないと。というのも、面白い部分があるからこそ書くわけで、もし、その作家に関してそれ以上の魅力が感じられなければ、必要以上に書くべきではない。他の部分については別の批評家に譲る。そういうのが、普通のコミュニケーションなんだけど、日本では成立しないんですよね。だから、勉強しても、それが生きたものになってゆかないんだよな。
そういう意味では、僕の中学校の英語の先生が、印度哲学をやってた人で、結構いい影響をもらったな。
むかし、芸大にも教養課程があったけど、今はなくなったでしょ。日本の大学って、専門学校化しちゃってるから、人間の教育はどこもやらない。人間とは何かということがない。
今でも、そうかは分からないけど、僕が知ってるころのアメリカでは、教養の先生が一番ステータスが高いんだよね。教養のない人に専門を教えても、創造力にはならないという考え方なの。専門馬鹿を作っても仕様がない。教養があって初めて専門をやる。まず、教養が、創造力の源になって、いろんな疑問をたくさん感じる力を育む。専門性はその後のテクニック。そういうのは、日本にはもう成立しなくなっちゃった。だから、人間の歴史を教えられる人が日本にはいないでしょ。いろんな意味で、人間とは何かというところから始めるさ。近代に入って、日本も物真似で大学を作ってみたけど、その中で哲学なんかもやってみたけど、結局は何にも身に付かなかった。効率や近代化に役立つものだけが、進んだ。日本のなかで、哲学を命題化することは出来ないんですよね。日本の生活のなかで哲学って役立つと思う?
高熊
逆ですよね。生活に支障を来しますよ、哲学をやってたら(笑)。
高山
哲学をやることが、日本のなかで役に立つのかどうか。応用科学と違って難しいところだよね。
僕は高校時代から水戸学派がずっと好きでね。高校のときから右翼で通ってるから(笑)。京都学派も好きで、やっぱりあっちの方が自由で面白いよね。東京の方はみんな官吏になっちゃうわけだし。宮教で一緒になった、東大出身の先生たちとつき合ってみてがっくりさせられたもん。
それにしても、こんなに先生をやるなんて思いもしなかったよ。21か22歳から予備校で教えてたから、来年で67歳だとすると、46年か。何年やってるんだか(笑)。これは、まずいよね。どこかで罪滅ぼしをしなきゃなぁ(笑)。本当に、美術の塾でも作りたいね。現代美術はあまり興味ないから、何か考えることをするための塾ね。専門学校みたいのがみんな無くなっちゃったでしょ。TSAとかさ。美学校はまだ続いてるのかな。Bゼミもなくなったし。
有名にならなきゃいけないって言う人がいるよな。発言力を持てって。でも、それって、ジャーナリスティックな意味なわけで、要は、マスコミのなかで目立たないと発言力はないんだって言ってるだけ。それは、エコノミー社会のもつ本質であるとは思うけど。一般の大衆って、新聞に乗った、テレビに映ったということで評価するわけだよ。だから、「まだ、あそこまで行かないですね」なんて言われたりするしね。仙台だと、美術をやってますと言うと、「じゃ、お忙しいんじゃないですか?」って、「河北展近いですもんね」とか言われるんだよ。「いや、僕は河北展には出さないんです」というと、「あ、そうですか。失礼しました」ってね(笑)。まだまだひよっこだと思われたりなんかしてさ。そんな感じですからね。
高熊
孤独ですねぇ(笑)。
高山
孤独って大事なことですよ。孤独じゃないと作品を作ることが出来ないもん。相談して作るわけじゃないからさ。
孤独と私って、直接に繋がるわけじゃないけど、僕は日本のなかでは「私」というのを認めない。「私」というのは成立しないんですよ。そういう意味で、まだ近代化してない。近代市民なんてのも存在しない。文化というのも、公が持ってるもので、自分個人で背負おうというのがない。家制度が消えちゃった途端に、文化が無くなっちゃった。うちに家訓ってある?家の文化の柱だったのにね。
そうそう、日本で不思議なことがあってね。トイレに、よくゴッホの絵とか飾ってあるじゃない?うちも、かみさんが飾ってるけど(笑)。何故こういうのを置くんだ!?という(笑)。カレンダーの付録みたいなやつさ。それは、悪い意味だけじゃなく、面白いと思うよね。あれ、世界中のどこに行ってもないよ。宗教的なものがあるところはあるんですけどね。日本でトイレに神棚がある家は、ただ狭いからでしかないけど。田舎に行けば、普通の家屋にも、仏壇と神棚があるでしょ。でも、だんだん、普通の生活から、仏壇の間や神の間は消えつつありますよね。
床の間がなくなったのは勿体ないよね。日本の優れた部分って、あそこだけなのに。日常のなかに、非日常的な芸術空間を作ったわけでしょ。あれがどう変わってきたかというと、掛け軸を外して、盆栽を外して、花瓶を外して、そこにテレビを置いたり、ステレオを置いたりしちゃった。あの奥の半畳ぐらいの空間に、非日常的な空間を作ったというのは、凄い知恵なんだよ。ところが、それが消えてしまった。これは、日本人自身の責任だと思う。
それから、今の学生と話しようと思っても、みんな本を読んでないから話ができないんだよね。日本の文学も読んでないし、「チェホフって何ですか?」なんてね。10代の子と話すと、時代も随分変ったと思うよ。だって、入学式の時に、おさげしてさ、「わたし女です」って来るんだよ。男なんだけど(笑)。「わたしを男の子と思わないでつき合って下さい。よろしくー」って。なんか漫画の世界みたいになってきた(笑)。本当に漫画の一コマ一コマみたいだもん。解離性人格障害みたいなのがたくさん入ってきますよ。
高熊
サナトリウムみたいなもんですね。
高山
ただ、時々キラッとしたものもあるにはあるんですよね。そこで、みんな、それに期待するわけだけど、でも、僕自身は、あまり天才主義とかには興味ないし、普通に勉強すればいいんじゃないのって思っちゃうんだよね。普通っていうのは、いろんなことに疑問を持つということだよ。始めから、自分が変り者だという生き方には、あまり興味を持てない。それは、本人にお任せするしかないわけ。こっちが口を出す必要はない。自分から、いろんなことに興味を持って、疑問に感じて、そこから、自分の疑問をどう作り替えて、見直してゆくか。それが大事だし、それだけでいいと思ってるんです。でも、ほかの先生たちは、ちょっと違う考えみたい。あとで大変なんだけどね。病院へ行きなさいとか、病院行ってますとかさ。
それから、別に何を描いてもいいんだけど、観察力というか、見る力がなさ過ぎるんだよ。みんな、ただ覚えればいいと思ってる。見方も覚えればいい。覚えたものを答えれば、一応マルを貰えるようになってるからさ。見て経験して、組み立ててゆく。それは、やっぱり小さいときから養われないと駄目なんだと思う。大学から習うのでは、遅いんだよね。それで慌てて、ディベートとか色んなことやらせるけど、それをちゃんと体験した先生がいないじゃない。だから、実験校の授業を見て、マニュアルどおりやってるだけ。マニュアルどおりやるということは、金太郎飴を作ることだっていうことも分かってないんだよね。だから、金太郎飴の作り方だけは世界一品だよね。
そういうデータを取る研究があったんですよ。でも、その研究も、日本では潰されちゃったもんね。どういう研究かというと、四歳児、小学校、中学校、高校、大学生くらい、それから40代、60代の被験者に同じ問題を出すんですよ。遠近感というものをどう感じて、図としてどう表わすか、それのアンケートを取るわけ。そしたら、見事に、画一的な結果になったんですよ。フランスで調べたら、何%かは常にいろんな空間性というか、いろんな図が出てきた。あそこは、移民が多いしね。つまり、日本だと、教育で何をやったかが直接に現われるんだよね。幼児期にはまだ色んな空間感を示すんだけど、中学ぐらいになるとみんな似たようになる。ひとつの図の方法しか覚えない。
遠近法で、立方体を描きなさいというと、刷り込まれたように、斜め上から見たやつを描くわけですよ。立方体というのは、三方向が見えるものだと思い込んでる。だから、そこで、今度は建物を、その遠近法で描いてご覧なさいというと、それと同じに描くわけだよ。屋根が見えないのに、屋上は見えないのに、描こうとする。だから、上の部分が空いたままなんですよ。そういうことが起きる。地面の方は、遠近法で描いてるから、こう縮まってるんだけど、上は見えないから描けないんです。そう脳に刷り込まれてる。これは、遠近法に関してだけじゃないよね。日本というのは、物事を構造的には教わらない。何故、そういう線遠近法が生まれたのか、その歴史も分かんないわけ。ただ、これが遠近法だというだけ。だから、水平線、地平線の意味も分かんない。見える地平線と図の地平線というのは違う。何故それが近似値かということも分かんない。基本的なことは誰も教えてくれない。先生たちもたぶん知らない。現場へ行って、遠近法で描くと、こう天井を見て遠近法で描くんですよ。まず、僕らは、地平線や水平線だと思うところに垂直に立てる。そこから遠近法が出発するということを知ってるからいいんだけど、それが何故かというのが分からない。分からない先生って、みんなこうやって描けばいいんだと思ってるんだよね。
まぁ、無知というか、大学を出てもほとんど馬鹿に近いよね。だから、数学を習った、理科を習ったと言っても、それを総合しなくちゃいけないのに、分科したまんま。もう一回再構成する力がなくなっちゃって、ばらんばらん。人間もばらんばらんになっちゃったんだけど(笑)。分科するという意味も、日本人には分かってないですよ。日本というのは本来は分科できない国だったんだよ。一神教だしね。一神というのは、自然と分離できない、多神教でありながら、ひとつなんですよね。全部に等しく神様がいる。そういうことが何を表してるかなんて、言ってる本人すらまるで分かってない。いまは学校も信用できないですよね。校長だって、自分がクビにならないようにしてるだけだからさ。学生が安全であればいいとかその程度でしかない。教育的理念なんてないし、学問的理念もない。いま多い例が、美術が好きだからって、非常勤の先生を雇わないで、校長が美術を教えてるんだよ。なんでこうなっちゃったかというのは、だいたい想像つくと思うけど。
ところで、あなたも美術を見るでしょ?
高熊
たまにですけど…
高山
その時に、何が最初に引っかかる?何が自分に飛び込んでくる?
高熊
難しいですね。作品ごとに違いますから。
高山
絵という概念があるのか。現代美術とか、言葉で入った知識なのか。表現とは何かという問題なのか。人間が描いたものを、これはロバが描いたものではないなぁとか。どこから始まる?
高熊
もともと美術とは縁もゆかりもないところで育ってきたので、おそらく美術としては見てないですね。まず得体の知れないものを見てるというところから入って、だんだん平面状のもので、色が置いてあって、線が引かれてて、初めてそこでこれは絵画だって認識になりますね。そこから美術史が入ってきます。最初は、物体として見始めて、それが単なる物体ではないある表現に生成する瞬間が面白いのかもしれません。
高山
絵画って言葉はどこで入ってくる?
高熊
最後です。
高山
絵というふうには入らなかった?
高熊
いや、まず物体です。なんかあるなと。
高山
額縁がある絵…
高熊
なんか仕切ってはあるなと。そこで、壁とは違うものだと。もちろん言語化はしてないですよ。ただ、思い出してみるとそうなりますね。
高山
写真の中で見る絵と展覧会場で見る絵だったら、どう違う?
高熊
全然違いますよね。写真の中で見ると、いわゆる絵画としてしか見えない。逆に展示場で見ると、得体の知れない物体になるんですよ。写真で見るのと全く印象が違うから、そのギャップは面白いですよね。
高山
彫刻でも、背景が写ってる写真もあれば、白抜きになってて、シルエットだけが残ってる写真もあるでしょ。撮り方によって大きさが分かったり、全部切り抜いちゃって大きさが分からないのもある。ピラミッドを切り抜いちゃうと何にも分からないし、小さな仏像も切りぬいちゃうと大きさが分からなくなる。我々が体験する感覚とは違う。
高熊
絵を描いてらっしゃる方、あるいは作家の方だと、絵のなかにどういう感じで入ってゆくんでしょうか?やっぱり絵というイメージから入っていくんですか?
高山
いや、僕は材質ですね。中国で発見されたミイラの報道があったでしょ。それが入った容れ物の写真が新聞に載ってたんだけど、それを見てすぐ油性だって分かったよ。材料が何であるか、写真を見ただけですぐ分かる。あとで記事を読んでみたら、当初は漆だと思われてたのが油性であることが判明したって。
僕ら写真で見ても、作品の構造を見ようとするからね。仏像を見ても、これは乾漆性なのかどうかなって。そういうのはすぐ推理能力が働く。経験数が違うからかもしれないけど、油絵でも水彩でも、どんな絵具で、下地がどうで、紙がどうって、そういうのには敏感だよね。本物を見なくても写真で分かる。反射率が違うからね。
そういう洞察力を培うには、色んなものを見せることと、もっといろんな経験をさせることが必要だよね。音楽だったら、出ても本当に微量にしか出ない音で教育する方法がある。どういうことかというと、微量の音で、どのくらいパワーを持ってるか、音色とか、音階とか、色んなものが変化するのを聞き分ける力を養うんです。ガンガン鳴らす音だけを聞いてると、レベルが低下する。誤差を微量でも感じる力をつけさせるんです。
高熊
教育というか訓練の力ですね。
高山
美術でもそうで、幼児期にたくさんの色を与えておくんですよ。赤なら赤で100種類与える。日本だと6色くらいから始まるのかな。成長するに従って12色になったり24色になったりして、それで、みんな偉くなったって錯覚が起きるんだけど。フランスだと、クレヨンの色も吃驚するくらいあるんですよ。色見本を見ても分からないくらい。描いてみてもほとんど分かんないくらい。僕らにも分からない色ってあるじゃない。化粧品売り場に行くと、口紅の色とかどれだけあるのか。フランスでは、小さいときから訓練してるんだよね。
日本で赤というと、林檎の赤も、トマトの赤も、ポストの赤も、太陽の赤も、チューリップの赤もみんな同じ。だから、太陽に赤を使うというのも、観念的にそうなっちゃう。赤に関しては、日本では特に幅が狭いよなぁ。朱と赤。朱じゃないんだけど、チャイニーズレッドというのとフレンチバーミリオンとか、色々あるけど、鳥居の赤は赤なのか。朱というと、ハンコの朱と同じ赤なのか。今は鉛を焼いて、朱を作ってるけど、水銀の朱と鉛の朱とあって、それがどう違うのか。
それから、着物、染色の色は物凄い微妙な色。これは、西洋人が分かりにくい色の幅だよね。グレーのトーンなんですよ。
高熊
あの辺は全部断絶してますよね。
高山
銀鼠とか鉄色とか。いろんな和名のついた色。これが凄く大事なんだけどな。色のつくり方も面白いんだよ。同じ顔料でも水簸の仕方で色がいろいろ変るんですよ。粒子の細かさによって色が変わる。日本も独特の文化を持ってるんだけどね。今じゃ、専門家しか分からなくなっちゃった。
高熊
クルマの色も、日本人の好みは、なんか冴えない色が好きですよね(笑)。
高山
ギラギラしてないよね。銀の中にちょっと色味が差してる感じ。あれは江戸時代とそう変らないような色の感覚なんですよ。だから、西洋化されてるといっても、身体や脳の中は何にも変わってない。そのチグハグさは興味あるところですけどね。
高熊
看板は派手なんだけど。
高山
だけど、いまフランス辺りでは、コカコーラもマクドナルドも、全部黒だよ。色を使えないんだから。環境色彩として規制をかけるの。
高熊
あのマークって、必ず観光地にあって風景を台無しにしてますからね。
高山
コカコーラは真っ赤でしょ。真っ黒だからね。
高熊
丁度カメラアングルのところに入れたいらしいんですよ、企業側としては。
高山
でも、日本は自ら規制はできないわけよ。植民地だから言えない。フランスは植民地ではないから、自分たちから、景観を壊すものに対してノーと言える。アメリカ人だって自国では、結構厳しいんですよ。景観委員会というのがあって、道路標識が、都会よりも自然のなかでは小さくしてある。自然風景がグリーンになるように、景観を壊さない範囲に縮めてるんですよ。
高熊
日本でも、京都でしたっけ?景観に合うように、色が違うんですよね。
高山
日本だと、条例でやるしかないんだろうけど、本来はもっと上の方で景観法を作らなきゃいけないんだけどね。なにも何色にするという具体的な色が問題なんじゃなくて、文化を個人と行政のレベルでどう守ってゆくかが問題であるわけですよ。京都は、あそこに変なものが建ったら、大変なことになる。普通の生活空間だと、日本では道交法でしかやれない。景観法というのがちゃんと頭にないからさ。でも、諸外国の景観委員会というのは権威がある。いろんな角度から見て、この建物とこの建物が被さって見えて、それが今までの歴史的空間を壊すなんて主張するんですよ。フランスを見れば分かるでしょ。ある通りから見ると、歴史が全部見えるようになってる。
高熊
ものじゃなくて、視界そのもの。
高山
うん、そのなかで、歴史が全部見えるようになってる。でも、日本は遅れてる。かといって、フランスの田舎へ行けば、砂利道だけど。
高熊
古いものを残しておいて、新しいものを別なところに作りますよね。
高山
うん、だから混在しない。外国人が、日本に来て面白い写真を撮ろうとすると、お寺と高層ビルを組み合わせたりするわけね。古いものと新しいものがぐちゃぐちゃに混在してるところ。混在の仕方が面白い。まぁ、計画がないからそうなるんだけどね。でも、そういう見方をされるのって、建物だけじゃないよね。日本人そのものもそう見られてるよね。一方で西洋の真似をして、それと日本の情緒や昔からのものがぐちゃぐちゃになってる。そして、日本人自身がそのことをちゃんと意識してない。新渡戸稲造なんか読んだことあるでしょ?武士道だってあの時代に意識してるじゃないですか。
高熊
そうですね。保守派の方たちなんかは、常に自覚を持ってらっしゃるかもしれませんね。
高山
いやいや、保守っていう意味じゃなくて、日本に保守派もないんですよ。
高熊
まぁ、革新もないですよね。
高山
むしろ、保守しかない。
高熊
総保守派(笑)。無意識の保守というか。
高山
自分たちが見えないんだよね。
いっぽうアメリカの内部に行くと、何でこんな田舎なんだろうって思うよ。あんな新しい国なのにさ。都会なのは、ニューヨークだけで、あとは何にもない。保守王国だもん。信じられないけど、レーガンみたいのが現われて、ブッシュが出たでしょ。スタインベックを読んだか知らないけど、綿摘みって分かる?黒人が何列にもなって、歌をうたいながら、綿を摘んでゆくという。奴隷の時代の話ね。黒人が何列にも並んで、歌いながら機械的に、こうやって取り残したのを次の人が摘み直し、それでも取り残したのをまた次の人が摘み直す。これを5?6回やると終わる。今でもそうですからね。それを読んで、感動したな。変な感動だけど。
あと居留地ね。アメリカに行ったら必ず訪ねてほしいと思う。居留地へ行ってインディアンと話してほしい。彼ら、かなり厳しい生活をしてるよね。無能化されてゆくからさ。それは日本だってそうなんだよね。植民地化というのは無能化するということですから。アメリカは、日本を無能化してゆく政策をとったわけだよね。抵抗しないようにさ。彼らは、忠臣蔵を知ってたから、敵討ちを一番恐れてたのね。刀狩りして、敵討ちという精神をどうやって殺すか。
その点、芸大は、何でも文科省の言うとおり。文科省の反応に敏感だから。中央大学の方は、まだ抵抗するのにさ。芸大は考える人がいないんだ。僕がいるときからそうだったよ。今やってるセンター試験ってあるでしょ。前は能力開発テスト。それが、今のセンター試験の実験段階の実験段階だったの。その実験段階を、芸大がやることになったんですよ。僕が学生の時だったから、反対運動やったわけ。「芸大でやって日本のレベル測れるか!?馬鹿野郎!馬鹿を測ってどうすんの?何が分かるっていうんだ!?」って(笑)。
高熊
何で芸大だったんですかね?
高山
他の大学は、みんな反対してるからさ。芸大だけイエスと言ったんだよ。「何を測りたいんだ?」って。絵を描いたり、石を叩いたり、木を削ってる奴らに学問も糞もないんだから。「能力開発テストって、そういう能力開発テストなんですかって。違うんでしょ?僕らにそんなことやったところで何も測れませんよ」と怒ってやったんだ。ところが、そのとき当局にいた人が、宮城県美術館の初代館長になったの。吃驚してさ。だから、顔を合わせた時に、「僕、あのとき反対したんです」って(笑)。
そういうこともあって、センター試験になるまで、結構時間がかかってるんですよね。でも、今となっては一辺倒でしょ。私学まで含めて、画一化する原点になってる。一時は、私学が反対して、自分たちで問題を作るとか言ってたけど、そうすると文科省がお金を出さなくなるんだよ。交付金ね。それで絞めてゆくわけね。汚ねぇんだよ、やり方が。人間がやるんだから、汚さはどこも同じ。ヤクザも政府も、やってることは何も変わらない。芸大だってそうだよ。向こうの言ったとおりにしないと、歯向かうと、お金が減るだけだもん。その方が分かりやすいでしょ。京大は一時抵抗したんだけどね。東大なんか、お役人の世界だから、可哀想だよ。みんな官僚に入っちゃってるんだから。東大は、構造そのものが官僚だから。
東北大はちょっと違うよね。東北大は東大の先生を入れたがらないでしょ。それは、東京を斜で見る感覚があるんだよね。でも、それって、仙台全体にある感覚。だから、東京から来た人をなかなか受け入れない。だけど、どこかでは見てなきゃいけない。だから斜で見る。もちろん、東北大にも優れた部分はあるよ。ただ、文科系の方では、凄く偏りがあるけど。特に美術史の先生。だって、実技を教えるのが、新現会の先生で盥回ししてるんだよ。むかしは、東北大の美術部って面白かったのに、つまらなくなっちゃったよね。写真部も。展覧会を見に行っても全然つまらない。医学部だとかに、美術好きがたくさんいたのにさ。東北大の医学部出身で面白い人がたくさんいるんですよ。でも、ある時期から育たなくなっちゃった。内輪だけでやってて、変なことになっちゃったんだよなぁ。あそこの学長もいろいろ変わるからね。
宮教大も、東北大の教育学部が分離して出来たでしょ。だから、東北大の先生ばっかりだった。そうすると、外部から入った先生と、こうなるわけだ(指をバッテンにしながら)。それに、東大から来た先生と東北大から来た先生が、こうなるでしょ(指をバッテンにしながら)。結構、構造は簡単なの。
100年の歴史があるものを壊すにはその3倍はかかる。300年続いた江戸を、明治になって壊したけど、それが本当に変わるのは、実は900年かかる。日本の官僚は江戸時代と変んないでしょ。
哲学は何のために勉強しなきゃいけないって先生は言ってた?
高熊
そんなことは言いませんよ。
高山
それは先生ではないんじゃない?
高熊
いや、それは自分でやれっていうことですよ。
高山
責任逃れだよな、それって。
高熊
いや、聞きたくないですよ、そういうことは(笑)。
高山
じゃ、先生は何のためにやってるかって聞かないの?
高熊
何のために?
高山
哲学って、日本の歴史にないものを、何でやってるんですかって、疑問に感じないわけ?
高熊
感じないわけじゃないですよ。でも、聞いたところでどうなるというものでもないだろうと。
高山
それは何なんだろう?人の意見を聞かないっていうのは。
高熊
もちろんテクニカルなことは聞きますよ。でも、哲学を何故やるかという動機の問題になると、それはもう各自の問題でしかないと思うんですよ。
高山
始めから、自己消滅型?自己整理型と言ったらいいのかな(笑)。世界に役立つか役立たないかというのはないの?
高熊
役立つなんて思ったことはないですよ。一度も(笑)。美術は役に立つという発想はありました?
高山
僕なんか世界のためにやってるんだからね。客観的にはどうかは知りませんよ。でも、やるからには、何かを感じると言っても、無責任に感じるということではなく、考えたことはやっぱり伝えなくちゃいけないと思う。別に、それを正しいと言ってるわけじゃないんですよ。それが、次に考えて動くチャンスになればいい。やっぱり、石は投げたいというのはあるよね。何も、いい作品を作ったから認めてくれと言ってるわけじゃない。何に対して投げてるのかを分かってくれるかどうか。伝われば、次に何か起こるだろうと。でも、美術をそう見る人は普通はいないからね。「何が投げられているのか分からない」って言われるからね。ただ、「分かります」と言ったところで、絵を理解したとかそういうことを言ってるわけじゃない。投げた石を見て、何故この人は投げてるんだろう?とそのことを分かってくれることが大事なんだよね。それを引き継ぐかどうか。また、社会に対して投げてみたいという人がいるよね。単に趣味的な問題でなく、そういう気が起きることを望むなぁ。いまは、それがどんどん狭くなってるからさ。半分諦めてるのか、捨てちゃったのか。世界とか社会とか、あるレベルで拮抗してゆくというか、気概が見えてこない。摩擦がないと恐いなぁ。青野くんなんかは、静かにしてるけど、摩擦を持ってるよね。
高熊 摩擦だらけですよね(笑)。
(終)